今日はやり直しピアノの話です。

 

ピアノの練習をしている時に、

必ずと言っていいほど頭に浮かぶ人が3人います。

 

1人は、

当然ながらピアノの先生。

 

練習曲を弾きながら、

先生のおっしゃっていたことを思い出したり、

教えていただいた通りに、弾けているだろうか?

と自問します。

 

もう1人は、

クララ・シューマン。

 

指がまだ思い通りに動かないので、

音の処理が雑、

打鍵が荒くてうるさく感じると、

 

クララの演奏を思い浮かべ、

叩きつけるのじゃなく、押すように穏やかに〜

と自分に言い聞かせながら。

 

チェルニー40番の自主練の時は特に、

クララならどう弾いたんだろう?

 

リズムや拍で強弱つけたりしたのかな?

つけるならどこかなぁ?

 

などと考えたり。

 

クララの時代のピアノは

鍵盤が軽かったらしいので、

今のピアノで

同じように弾くのが正しいのかどうかわからないけれども。

 

ピアニストのことを思い浮かべると、

気をつけて弾こうという気持ちになれます。

 

頭に浮かぶ人の最後は、リヒテル。

 

これは、

ピアノのレッスン時間が関係してます。

 

30分で3曲見てもらっているので、

いつもギリギリで、

時間が足りなくなることもあります。

 

なので、繰り返しの箇所はする時間もなく、

繰り返しなしで見てもらってます。

 

家で練習する時は、

繰り返しなしの

レッスン用で弾くことがほとんどです。

次の曲に進んだ後、

記号通りの繰り返しで自主練を時々する感じです。

 

リヒテルがアラジンのように

頭の中にボッと浮かぶのは、

繰り返しを飛ばして練習する時。

 

リヒテルが不機嫌そうな顔で、

 

繰り返しを飛ばすなんて許せない

 

と吐き捨てるように言います。

 

以前、リヒテルのドキュメンタリー映画を見た時、

自伝を読んだ時、

 

何度か繰り返すように出てきたんですよね。

 

リヒテルは

演奏で繰り返しを飛ばすピアニストが許せないらしいんです。

 

それを知ってから、

繰り返しは守らねば、と思うようになりました。

(それまでは、面倒で飛ばすことも多々)

 

とは言っても、

レッスンは30分で、

繰り返しは時間的に無理。

 

家の練習とレッスンで繰り返しするかしないかを変えると

レッスンで緊張して、

ただでさえ間違うのに

更にパターンの変化で間違えそう。

 

そういうわけで、

繰り返しなしの練習をし、

リヒテルの言葉が浮かんでくるというわけです。

 

おまけ

メンデルスゾーンが亡くなる

1847年に完成させた最後の弦楽四重奏曲、

第6番ヘ短調 Op.80⬇️

ChamberFest Clevelandでの演奏、

第1ヴァイオリンAlexi Kenney

第2ヴァイオリンNathan Meltzer

ヴィオラHsin-Yun Huang

チェロNicholas Canellakis

 

素晴らしい作品、演奏だと思いました。

 

メンデルスゾーンにしては、

例外的に悲劇的な性格を有する作品(ウィキペディアより)とのことで、

同年、

姉ファニーが亡くなった悲しみが

影響していると考えられるようです。

(教えてくださったブロガーさんに感謝します)

 

更に、

 

家庭を持ちながらも、

オペラ歌手ジェニー・リンドと

駆け落ちしたいほどの恋心に苦しんだ時期でもあります。

 

姉の死と叶わぬ恋が

共にこの作品の性格に影響したと考えて聞いていると、

ベートーヴェンやブラームスに少し似た雰囲気を感じたりもします。

 

お読みくださりありがとうございました。

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