前回たどり着けなかったメンデルスゾーンの話です。

 

クララ&ロベルト・シューマンの親友、

フェリックス・メンデルスゾーン。

 

ロベルトの1歳年上、

クララの10歳年上です。

 

メンデルスゾーンといえばヴァイオリン協奏曲⬆️

フィルハーモニー・ド・パリとギル・シャハムでリハーサル

 

 子供の頃から

 

クララが12歳で

父と共にパリへ演奏旅行に行った時、

フランスではまだ無名。

 

メンデルスゾーン、ショパン、リスト、ヒラーらが

演奏会の中心的存在でした。

 

その合間に演奏させてもらうような形で

楽屋が一緒になったりで

顔見知りだったようです。

 

1935年

メンデルスゾーンは

ライプツィヒのケヴァントハウス管弦楽団の指揮者に。

その年の16歳のクララの誕生日にお祝いに来ています。

 

ロベルトとメンデルスゾーンはその頃から仲良くなりました。

 

ワーママ、クララのブログ記事に書いた、

結婚後のロシア演奏旅行帰国後から

ロベルトのうつ状態がひどくなり、

ライプツィヒからドレスデンに引っ越した件ですが、

 

理由は、

 

気候の変化が回復に良いと思われたこと、

もう1つは、

メンデルスゾーンが指揮者を辞任して

ライプツィヒを去ったことで、

その地の音楽界に魅力を感じなくなったことと

伝記の著者は考えています。

 

当時、メンデルスゾーンの音楽界での影響力は大きく、

シューマン夫妻は

彼を芸術家として、

人格者として尊敬していました。

 

人気の絶頂期にいても、

おごり高ぶるどころか、

ますます親しみやすく謙虚になる

 

とロベルトは書いています。

(そこがリストとの違いですかね。)

 

ロベルトとフェリックス(メンデルスゾーン)は

長年の付き合いでもケンカ1つなかったようです。

(音楽に対する批評はしたようですが。)

 

メンデルスゾーンが亡くなった時、

クララが書いています。

 

ロベルトにとって、

メンデルスゾーンの後を埋める人はいない

一番親しい芸術家

彼との友情や芸術に関する議論が、

ロベルトの意欲をわかせていた、と。

 

クララの伝記の著者の分析が興味深いのは、

 

ロベルトはメンデルスゾーンを

人として大好きで、

音楽家としても尊敬

(作品が賞賛の対象かどうかは別にして)

 

メンデルスゾーンもロベルトに

音楽家の友人として親しみを感じ、

知性を尊敬していただろうが、

方向性、

音楽に対する姿勢については共感していたか不明

 

と書いています。

 

音楽性に関しては、

ロベルトよりクララとの方が共通点が多そうです。

 

 クララとメンデルスゾーン

 

クララはリストとメンデルスゾーンの2人を

素晴らしいピアニストとして尊敬していましたが、

メンデルスゾーンの演奏が一番好きだと書いています。

 

父はピアノ教育でも

演奏、曲共に、

リストではなくメンデルスゾーンを推していたようなので、

クララにとっては

子供の頃から

メンデルスゾーンは憧れの音楽家だったでしょう。

 

娘オイゲニーの回想録には、

 

母はメンデルスゾーンが好き過ぎて、

彼に関係する人や物ならなんでも好き、

彼の子供まで好きだった

 

と書いてあります。

 

なぜそんなに好きだったのか

 

クララの立場や気持ちを理解し、

話を聞き、救いの手を差し伸べる紳士だったようです。

 

新婚当初のライプツィヒ時代は、

シューマン家を頻繁に訪問。

 

クララが家事に追われ、

ロベルトの仕事優先で

ピアノの練習もままならなくて、

自信をなくしているのも気づいたでしょうし、

その悩みを打ち明けられてもいたでしょう。

 

クララはロベルトと結婚したことで、

恋愛が絡まないとはっきりしている分、

 

妻になってからの方が

メンデルスゾーンに心を開き、

親密になったと

伝記の著者は書いています。

 

クララはメンデルスゾーンに、

ロベルトに対する心配事や

将来の不安などを打ち明けて、

助言をもらったり、

慰めてもらったり、

ロベルトにそれとなく働きかけてもらったりしていたのです。

(それについて感謝の手紙が残っています)

 

というのも、

ロベルトの作曲中は煩わせてはいけないし、

余計な心配をさせると、

うつになったり悪化するのを恐れていたから。

 

ロベルトに言えない悩みを打ち明け、

メンデルスゾーンが助けてあげていた。

 

、、、、

 

これって、後の

ブラームスの時と同じじゃないですか。

 

ロベルトが精神科の病院に入院して、

彼と話せなくなったことや悩みを

ブラームスに話し、頼りにしてました。

 

 気配りのメンデルスゾーン

 

 

さて、肝心の逸話。

 

1つ目は

 

1841年 結婚1年目。

クララ・シューマンになって初めてのコンサートで

シューマン作曲のデュエットを弾くことに。

 

練習のためメンデルスゾーンが家に来て、

クララと2人で弾きました。

 

すると、

演奏の音色が期待通りではなく、

ロベルトが滑稽なほどカンカンに怒り出しました。

 

するとメンデルスゾーンが

機転を効かせて、

無言歌を弾き始め、

その中でも特に「民謡」がとても素晴らしく、

ロベルトが大喜びし、機嫌がなおりました。

 

(でもクララは不覚にもメンデルスゾーンの前で

演奏を聴いて泣いてしまったんだそうです。

自分とメンデルスゾーンとの演奏力の差が明らかで、

自分にはこんなに素晴らしいものを

ロベルトにさしだせないと感じたからだそう。)

 

2つ目は、

1846年ドレスデンで大きなパーティが開かれた時のこと。

 

シューマン夫妻とメンデルスゾーンも参加していました。

 

メンデルスゾーンは、

ベートーヴェンのピアノソナタ第1番を弾いてほしいと頼まれ、

引き受けるのですが、

 

最終章は弾けないので、

シューマン夫人に弾いてもらわなければ

 

と言います。

 

クララは7週間も弾いておらず、

弾く気など全くなかったのですが、

彼はピアノの前に座り、

 

アダージョの後止まるから、

その続きを皆が聞けるかどうかは、

クララにかかっている

 

と脅します。

 

最後のコードまで来ても、

クララが弾く様子を見せないので、

彼は立ち上がって、

 

私は最終章は弾けません

 

と皆に言ったので、

クララは続きを弾かざるを得ず、

緊張に震えながら弾くと、

なんとか上手く弾けたのでした。

 

クララは確信しています。

メンデルスゾーンはいつも

クララに気を配ってくれて、

このような事をしたのだと。

 

この時だけでなく、

公の場でも、

家族の集まる場でも、

いつもメンデルスゾーンは

クララを立てて、

彼女が賞賛を得られるようにしていたそうです。

 

メンデルスゾーンが最終章だけ弾けないわけないですよね。

 

全部譲って弾かせるのじゃなく、

皆の要望通り自分が弾きつつも、

クララにもスポットライトが当たるようにする、粋な計らい。

 

クララは素晴らしいピアニストなのに、

自信をなくしていたり、

控え目だったりするので、

弾きやすいよう導いたのでしょう。

 

なんて優しい人なんでしょう。

私はこれを読んで泣きそうになりました。

 

メンデルスゾーンも

クララも

神童と呼ばれた人格者でした。

 

お互い通じ合うものがあったんだと思います。

 

 

また長文になってしまいました。

お読みくださりありがとうございました。

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