今日はクララ・シューマン(ヴィーク)の伝記の続きで、

パリの演奏旅行の頃についての感想を書こうと思います。

 

その前に雑記を少しだけ。。。

 

年末年始は1週間ほど家族全員で過ごし、

娘たちが東京へ行く前に近い生活でした。

 

娘を駅まで送ったあとの家の静かなこと。。。

 

片付けなど、まだ生活サイクルが元に戻らず。

 

ブログに向かう時間が持てていませんが

徐々に戻していければと思います。

 

クララと父とロベルト

 

クララの伝記、

前回は

ロベルトの駄々っ子のようなクララへの手紙について書きました。

 

ロベルトはメンタルが弱くて、

躁うつ気質なので、

 

良いことがあると天にも昇るような喜びようで、

そこから急激にウツに陥ります。

 

クララはそれに気づいており、

ロベルトの心の落ち着かせることに

始終気を配って、

自分の心配事を打ち明けるのは

我慢する様子が日記に書かれています。

 

クララが少しでも父親の事情を配慮したり、

心配したりすると、

ロベルトは瞬間湯沸かし器のように

激怒して冷たい手紙をクララに返します。

 

クララは傷つきながらも、

恋心は揺らがず、

忍耐強くロベルトに気持ちを伝え誤解を解く、

を繰り返しています。

 

文通だけでよく続いているなぁと驚きます。

 

クララはピアノにしても

恋愛にしても、

とても我慢強い性格だと分かります。

 

争いごとを好まない、

優しい心の持ち主ですが、

自分の意見は曲げない、

相手が父でもロベルトでも、

何を言われても穏やかに自分の考えを述べ、貫きます。

 

子供の頃から

父には頑固だとよく怒られていたようですが

(父は優れたピアノ教師ではありますが、

口が悪くて厳しい人です)

実際良い意味で頑固で、

だからこそ、天才ピアニストになるほどの練習を重ね、

反対されてもロベルトを愛し続けられたのでしょう。

 

ロベルトには

クララの父が結婚に反対するだけの

心配や問題がありましたが、

クララへの愛の深さは手紙から痛いほど伝わります。

だからこそ

長い間会えなくても続いたんだと思いました。

 

「シューマンの結婚」という本を読み、

クララの父が反対する理由がわかりましたが、

伝記本の

パリの演奏旅行、婚約時代に到達すると、

次第に、

父の仕打ちがひどすぎるように感じてきました。

 

結婚反対でそこまでする?

 

父にとってはロベルトとは絶対結婚させたくなくて、

悪口を言いたい放題、

会うことも禁止にしていましたが、

クララの気持ちは変わりません。

 

そこで父がとった手段。

 

パリの演奏旅行には付き添わない。

 

それまでは父が付き添い、

準備や交渉などコンサートのお膳立てを全て行ってきました。

ナニーも同伴しました。

 

けれど、

 

ナニーがクララの味方で、

こっそりロベルトとの連絡の手助けをしていると気づいたのか、

そのナニーさえ付き添わせません。

 

全く知らないフランス人の女性を付き添わせ

(偵察係とクララは感じていて非常に嫌がっています)

クララ1人で、

演奏から交渉まですべてさせたのです。

 

「シューマンの結婚」には

19歳で1人でパリ演奏旅行に行くのは自立心がある、

というようなクララの賛美になっていました。

 

が、

 

日記にはいかに心細いか、大変か、

切々と書いてあります。

 

ここで父への同情がほぼ消えました。

 

ロベルトが娘の人生を台無しにするから

結婚させたくないと、

いくら思ったとしても、

それが仮に正しい判断だったとしても、

 

まだ成人してない娘を

ひとりで外国に行かせて

営業から演奏まで全部させるなんて!

 

危険がいっぱいですよ!

本当に我が子を大事に思っているなら、そんなことしないですよね。

 

父がなぜそんな無謀な旅行をさせたのか。

 

親の私がいなければ

コンサートを開いて収入を得ることはできない

と気づかせるため。

 

親の私がどれほどクララのために尽くして

すべてをお膳立てしているかわかる。

 

クララがピアニスト、音楽家として続けるには、

親の私がいなければ無理。

 

ロベルトとの結婚を諦めるだろう。

 

ということらしいのです。

 

思い知らせたいために

ひとり放り出すなんて。

 

実際、親切に援助の手を差し伸べたとある男性を

クララはすっかり信じてしまい、

危ないところでした。

 

妻がいる男性なのに、

クララを囲おうとほのめかす手紙を書いています。

クララはそういうことに鈍いようで

変な手紙で意味がわからないから、と

ロベルトに送って読んでもらって

ロベルトが気づいて分かったような風でした。

 

パリでの演奏旅行は

若い女性ひとりだと軽くあしらわれ

ライバルたちもいて

大絶賛だったウィーンの時のようには

うまくいきませんでした。

 

けれど、少ないながらも成功もあり収益は出たようで、

父の狙い通りにはいきませんでした。

 

クララは、

父が助けに来てくれると思っていたのに

結局来ず、

見放されて孤独で辛かったようです。

 

それでも父への感謝の気持ちは忘れず、

パリでは

演奏する機会もあまりなくてピアノの技術の衰えを感じ

父の厳しい批評や教えがないから

自分が成長できないと嘆いています。

 

なんといじらしい。。。

 

クララの両親は離婚して

結婚の反対で

父だけでなく

再婚相手の義母もクララには冷たかったようです。

 

義母はプレゼントをくれたことがない、と

ロベルトへの手紙に書いています。

 

お金を稼いでいるから自分で買えるでしょう、

と言われるんだそう。

 

それは違うでしょうに。

 

まぁ、

義母、意地悪、、、、なんですが、

これは少し理解できる裏事情も。

 

夫であるクララの父が

クララを最優先にしすぎなんですよね。

 

ピアノのレッスンもほぼクララのみ、

他の子供達には同様にせず。

演奏旅行もパリまでの時代はずっと付き添い、

クララのことに全力投入に近い。

 

後年クララが娘オイゲニーに語ったところによると、

食べ物さえ、

クララが一番良いものを食べさせてもらう特別扱いだったとか。

(だから、クララが毎年のように子供を8人産み、2人流産しても、

演奏旅行もし、家族を支え続けても

倒れてしまわない体力を維持できたのかもしれません)

 

愛するロベルトにも会えず

家族の愛も感じられず

天涯孤独のようだったクララに

ようやく光が見えます。

 

父と別れて、父の友人と再婚した実母が、

クララとロベルトの結婚に賛成し、

2人の応援にまわりました。

 

一癖も二癖もある父。

 

ロベルトが「拝金先生」と皮肉るほど

お金にこだわったり、

クララのピアノ教育に

異様なほど熱心なのは理由がありました。

 

後年、クララの父が88歳の時

孫フェリックス宛の手紙に書いています。

(クララの末っ子でブラームスが名付け親)

 

とても貧しかった頃に私は神に誓ったのだよ。

もし日々の生活の心配から解放されるならば、

裕福になれたなら、

私の全人生を教育に捧げます、と。

何よりも、

貧しくとも音楽の才能のある者への教育に捧げます、と。

 

彼はお金に苦労したので、

お金に重きを置くのです。

 

その点でロベルトとは環境が大きく違い、

互いに分かり合えないのでしょう。

 

ロベルトは、

自分の好きなことには浪費してしまう癖があり、

お金がなくなると母に送金を頼んでいる手紙が残っています。

 

伝記はこれから結婚へと進みます。

 

幸せな内容なら良いのですが、、、

 

1年ぶりに再会したロベルトの体調

(目の不調、精神状態の不安定さなど)を

とても心配しているクララの日記が残っています。

 

クララの父もロベルトも

かなり個性が強い人物で

言動が極端。

 

その間で生きていく

クララは

音楽家として素晴らしいだけでなく

若い頃から人格者だなぁと感心します。

 

 

お読みくださりありがとうございました。

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