前回、前々回は1858年ごろの

ヨハネス・ブラームス、クララ・シューマンの話でした。

 

今回はさかのぼって

1836年ごろの

ロベルト・シューマン(26歳)と

クララ・ヴィーク(17歳)の恋愛についてです。

 

 会えない時期

 

ブラームスの本の婚約解消の箇所を読んだ後、

再び、クララの伝記の続きを読み始めました。

 

クララにロベルトが告白をした後、

2人の交際に反対のクララの父が

会うことも文通することも禁じました。

 

父はクララと一緒に演奏旅行に行き、

引き離しつつ、

ロベルトの悪口を延々聞かせ、

2人が別れるように仕向けました。

 

父にはピアノの才能を伸ばしてくれたことなど

感謝の気持ちもあるので、

黙って耐えつつも、

ロベルトへの愛は強く消えることはありませんでした。

 

最初の頃は、全く連絡を断つことになってしまったので、

ロベルトは、

クララとはもう結婚できないと絶望し、諦めていました。

 

けれど、

ようやく周囲の協力を得て、

父に隠れて文通が再開し、

気持ちを伝え合えるようになりました。

 

、、、、と

この流れだけを見ると、

クララの父が頑固で障壁、

二人の愛は強い、という素敵なラブストーリー。

 

ですが、、、

 

シューマンがお好きな方には本当に申し訳ないのですが、

そして、

シューマンの作曲家としての才能は素晴らしいとして、

 

この人をパートナーにしたいか?

親として、この人を娘の夫にしたいか?

 

そう聞かれたら、

 

2人がやり取りする手紙を読んで

正直な気持ちは、

私は勘弁願いたい。

(ごめんなさい)

 

素晴らしい才能を持つ人に

性格などバランスよく願うほうが間違いとも思うので、

仕方ないといえば仕方ない。

 

でも

一般的な感覚としては

クララが可哀想と思ってしまう。

(本人が愛してるのだから余計なお世話ですが、

親としての感情はそれです。)

 

シューマンは、

なぜ自分が結婚を反対されるか正しく理解していない。

 

クララの父を拝金主義と誤解している。

 

自分が金持ちじゃないから反対されていると思っている。

 

クララを取られたら、コンサートで得る収入がなくなるから、

手放したくないと思っている。

 

違うんですよ。

 

父親は、

自分が愛情と能力と時間とお金を費やして、

クララの才能を最大限に伸ばすために頑張ってきたんです。

 

そしてその才能を開花させたんです。

クララはその才能を得て、

ピアニストでいることに喜びを感じているのです。

生涯、芸術の世界に身を置きたいと思っているのです。

 

そのクララを、

ピアニストよりも音楽家の妻として

内助の功で自分を支えてほしいと願っているのです。

(この時期はクララが天才ピアニストでずっと有名でハイソな世界で演奏)

 

クララの父親は、

ロベルトのピアノの先生で

家に住まわせていましたから、

 

大酒飲みですぐ酔い潰れること、

練習をちゃんとしない、

熱しやすく冷めやすいと感じており、

音楽家として成功しないのではと心配していました。

 

さらに、ロベルトの母から、

弟子になる前の問い合わせの手紙をもらい、

その中に心配などが書かれていて、

浪費家であることも知っています。

 

まぁ、親としては心配の種が尽きないのです。

 

その辺が反対の理由だと、ロベルトはわかっておらず、

お金が理由と思っていたようです。

 

父親は

結婚するための条件を出していて、

それを読む限り、

無茶は言ってないと感じるのですが、

(クララの安定した生活とピアノを続けられるために必要な経済的条件)

それを叶えられそうにないとわかっているためか

ロベルトは、

結婚させないための無理難題と受け止め、

激怒しています。

 

クララは両方の気持ちがわかるので板挟みで、

父親の理屈はわかるけれど、

ロベルトを愛してやまないから、

絶対結婚はしたい。

でも父の期待に応えて満足させてから結婚したい、

だから演奏旅行に出て一定の成果を得る、

と非常に大人の対応です。

 

ロベルトはクララに対して、

手紙に

君は子供だと書いているのですが、

 

2人の手紙を読む限り、

駄々っ子のようなことを言っているのはロベルトです。

 

物事を冷静に見られず、

父親に対する怒りから、

クララの気持ちまで疑ったり責めたりして、

クララを言葉で傷つけています。

 

読んでいると、

クララの気持ちになってしまい、

結構つらいです。

 

 仕方がないのか?

 

もうひとつ、

これはクララの自伝には載っていなくて、

以前ブログに書いた

「シューマンの結婚」という本

(結婚をするために裁判を起こした話でクララの父を弁護する内容)

の同時期の部分を読み直して気づいたことです。

 

1836年ごろ、

ロベルトとクララが会えない、

文通も禁止だった時期、

 

クララはロベルトと全く連絡が取れない間も

忠実に愛を貫いていました。

 

が、、、、

 

ロベルトはクララの気持ちが冷めたと思い込み、

母親も亡くなって、絶望的になっていたからでしょうが、

 

この時期、

以前関係を持っていた女性と

再び復活していたようなのです。

 

彼の日記に

“クリステル“という名前が定期的に書かれていると

その本にあります。

 

 

このクリステル、

 

1831〜32年に関係を持っていた女性で、

梅毒は彼女から感染したようです。

 

クリステルはどこの誰か?

 

私が以前オンラインで調べた英文の記事には

娼婦とあったのですが、

 

日本語の情報には

ヴィーク家のお手伝いさんとあります。

 

別の英語で書かれたシューマンの伝記(John Worthen著)を

今回読んでみると、

 

はっきりとしたことはわからないんだそう。

 

ただ、

ロベルトはクリステルに手紙を書いていたようなので、

字を読めたことは確かで、

ある程度の教育はある女性。

 

けれど

同じピアノの弟子でもないでしょうということでした。

 

中流階級の女性の弟子は

ヴィークが問題の起こらないよう気をつけていたはずですから。

 

ということで、

ヴィーク家の使用人かお手伝いさんだろうか、

というのがこの伝記作家の考えです。

 

日記に名前が記載されているので、

 

1831〜32年は確実に関係があり、

その後もはっきりとはわからないものの、

もしかしたら続いていたようでもあり、

少なくとも1836年に復活していた可能性が強いと

その伝記にはあります。

 

、、、、なんだかなぁ、、、、

 

1836年は

クララとはもう終わったと思ってたのだから

浮気とは言えないし、

仕方がないのかもしれないけれど、、、、

 

ロベルト亡き後、

あるいは入院後に

クララはこの日記を読んだでしょう。

どんな気持ちだったか考えてしまいます。

 

 

色々書いちゃいましたが、

 

自分のことをたっぷり愛してくれて、

自分の名前をコードにして多くの曲を作曲してくれて

捧げてくれて、

 

やっぱり素敵な男性で、

クララは愛されて幸せだったとも思います。

 

理屈じゃないですよね恋愛って。

全てひっくるめて愛すべき人なんだと思います。

 

 

 

お読みくださりありがとうございました。

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