クララ・シューマンの伝記には、
他の作曲家との交流がいくつもあり、興味深いです。
クララが16歳になる直前ごろ、
ロベルト・シューマンの気持ちが
エルネスティーネからクララに移ったようです。
16歳の誕生日会にはメンデルスゾーンも来て、
一緒に連弾したり、それぞれがピアノを弾いて聴かせたそうです。
メンデルスゾーンは、
リストやショパンのモノマネ、弾きマネで
ピアノを弾いて楽しませたりもしたようです。
茶目っ気ありますね。
ショパンの訪問
それから日も経たないうちに、
ショパンがクララを訪ねてきます。
ショパンが両親を訪ねた帰りに立ち寄ったそうです。
その時、クララは不在だったのですが、
会ってクララのピアノを聴きたいがために、
帰宅するまで1時間も待っていたそうです。
(ショパンとクララはパリで演奏会で一緒になったりしてたんですよね。
クララが12歳、1931、2年頃でしょうか。
控え室で何度か一緒になり、
メンデルスゾーンとショパンとヒラーが
楽しそうにワイワイと熊の戦いごっこ?
(bear-fightingって書いてあるんですけど若い男の子のおふざけでしょうか)
をしてるのを見たりとか、
大作曲家も普通の青年だったのがわかって面白いです。)
帰宅後、クララが、
ショパンにシューマンのソナタや、
ショパンの協奏曲の最終章やエチュード2作品を弾くと
大絶賛して、
お礼に自分の最新作の楽譜をプレゼントしたそうな。
クララがお願いして、
ショパンも自作のノクターンを弾いてくれたそうなんですが、
体の具合が悪そうで、フォルテも弱々しかったみたいです。
この時期のショパン
ふと気になって、ウィキペディアでショパンを調べたら、
このタイミングは、
1935年、ショパンが両親に最後に会った帰りなんですね。
それと、
ポーランド人貴族のヴォジンスキ伯爵一家と再会し、
娘のマリアと恋に落ちてるんですね。
このマリアが16歳ということは、クララと同い年です。
ショパンは翌年マリアにプロポーズして承諾されるも、
マリアが若いのとショパンの健康状態が悪いことで
無期延期のまま結局破棄されて終わると書いてあります。
体調の悪さも、クララの伝記の内容と合致します。
それと、同い年のショパンとロベルト・シューマンは
ほぼ同じタイミングで16歳の女性と恋に堕ちてたんだなぁと。
バラバラに知っていた知識が繋がって面白かったです。
ピエルニキ
ショパンも絶賛したというポーランドのお菓子ピエルニキ。
カルディでゲットしました。
このピエルニキは甘さ控えめであっさり美味しかったです。
先日買ったドイツのレープクーヘンの方が少し甘く、
スパイスも強め。
生地はピエルニキがやはり独特の弾力的ふんわり感あり。
どちらも甲乙つけ難い美味しさでした!
お読みくださりありがとうございました。