昨日に続いて、

アレクサンドル・カントロフ氏のピアノ・リサイタル話。

 

今回はプログラムと曲と演奏について書きたいと思います。

 

プログラム

 

プログラムは以下の通りでした

 

ブラームス:ピアノ・ソナタ第1番 ハ長調 op.1
J.S.バッハ(ブラームス編):シャコンヌ BWV1004

 

休憩をはさんで、

 

シューベルト/リスト:
 さすらい人
 水車小屋と小川(歌曲集「美しき水車小屋の娘」D795から)
 春への想い
 街(歌曲集「白鳥の歌」D957から)
 海辺で(歌曲集(白鳥の歌)から)
シューベルト:幻想曲 ハ長調 D760「さすらい人」

 

そしてアンコール4曲

 

シューベルト/リスト: 万霊節の日のための連祷 S.562-1
ストラヴィンスキー(アゴスティ編):バレエ「火の鳥」から フィナーレ
ヴェチェイ(シフラ編): 悲しきワルツ
モンポウ: 歌と踊り 第6番

 

アンコール曲タイトルはこちらのサイトから確認しました⬇️

 

プログラムは有料でした。

物価上昇の影響でしょうか。

 

ブラームスとシューベルト

 

このところ

ブラームスとクララ・シューマン、

ロベルト・シューマンについて、

 

シューマン家の娘オイゲニーの回想記や、

ブラームス、クララ、ロベルトの手紙などの英訳を

読みながら

あれこれ考えていたので、

 

前半のブラームスの曲

そして

後半のシューベルトとブラームスのつながりは

興味深かったです。

 

パンフレットを読み、

シューベルトの「さすらい人」を継承するような形で

ブラームスのピアノソナタ第1番が存在することから、

プログラムの構成があると知り、

なるほどそうだったのかと納得しました。

 

“孤独と連帯“というフレーズが

パンフレットにありました。

 

確かに、

ブラームスとシューベルトにそれを感じます。

 

晩年の両者のピアノ小品は、

孤独感が漂っているものが多いけど、

音楽を極める上で

友人には恵まれていたと思います。

(これについてはいつかブログに書きたいです)

 

前半ブラームス

 

ソナタ第1番とシャコンヌは、

ブラームスと

シューマン夫妻、

特にクララとの関わりを思いながら聴きました。

 

夫妻の前でソナタを演奏し、

ブラームスの才能に驚嘆したロベルトが

絶賛したことで、

音楽家としての道が開ける。

 

(追記:最初にシューマン夫妻に聞かせたのは

完成していたソナタ第2番でした。

完成後こちらの方が良いと思ったブラームスは、

後にできた作品を第1番にしました。)

 

ソナタ第1番を完成させた頃は

ブラームスの人生が激変

 

音楽家としての成功の始まり、

そして、

悲恋の始まりでもある。

 

カントロフ氏の演奏は、

ホールの音響の違いなのかわかりませんが

ギルモア賞の動画より、

音の響きが柔らかく整っていたように感じました。

 

素晴らしかったです。

この1曲目で

スタンディングオベーションがあったのも納得です。

 

バッハのシャコンヌは、

右手を痛めたクララのために、

左手だけで弾けるように

ブラームスが編曲したもの。

 

バッハは

クララとブラームスにとって敬愛する作曲家。

2人の共通の関心。

 

さらに

シャコンヌはバッハから亡き妻への鎮魂曲。

夫ロベルトを亡くしたクララの想いを重ねる。

 

ブラームスのクララへの愛たっぷりの曲。

 

左手だけの演奏とは思えない深さと表現力。

 

カントロフ氏のシャコンヌ収録のアルバム解説に

ブラームスがこの曲について書いた

クララ宛の手紙の抜粋が紹介されています。

 

 

それによると、

 

ブラームスは、

片手だけで弾くこと=ヴァイオリニストのような表現

と意識して編曲したようです。

 

なので、

カントロフ氏はこれを演奏する時に、

ヴァイオリニストでもあるお父様の演奏から学び取ろうとされたのですね。

(ギルモア賞受賞時のインタビューで話されてました。)

 

演奏中は、

前回と同じく歌声が所々聞こえました。

そして呼吸。

 

ここぞというところで、

 

シュッ

 

と呼吸される。

 

このシュッっていう音、

同じくフランスのチェリスト、

ゴーティエ・カプソン氏も

似た呼吸を演奏中されてるので、

 

(そういえば、フルーティストの

エマニュエル・パユ氏のインタビューで

話の間の息継ぎも

ヒュッとかシュッとか音がするんですよね)

 

フランス?ヨーロッパ?では

演奏中の呼吸はこうなのか?

 

などと気になったりしている。。。

 

(牛田智大氏も演奏中に深く呼吸をされたのを覚えてますが、

静かにされてた)

 

あと、演奏前、演奏中に

カントロフ氏の視線の向きが変わる時に、

何を思い浮かべながら弾いてらっしゃるのかなと考えてました。

 

特に左側に体を逸らして、鍵盤から目をそらせるような時。

天を仰ぎ見るような時。

 

何かをイメージしながらそれを弾いてらっしゃるんだろうなと。

 

後半シューベルト

 

リスト編曲のシューベルトの演奏で感じたのは、

打鍵の軽さ。

 

脱力の加減がすごいなぁと。

 

とても軽く淡く美しかった。

 

最後は、さすらい人。

 

以前、リヒテル氏の演奏をYoutubeで聴いた時は

リズミカルな箇所がリヒテル氏らしい感じがしました。

 

カントロフ氏のさすらい人は

パンフレットの解説を先に読んだ印象もあったためか、

 

シューベルトが

自分の人生をどう受け止めたか、

 

悲しみと前向きな気持ちのメリハリ、

 

それぞれを

明確に表現、

しっかり構築したように感じました。

(交響曲のような広がりと深みはブラームスのソナタとの呼応かな)

 

この曲で

フォルテの爆発的な力強さも感じました。

 

 

やはり長くなったので、

アンコールとサイン会の話は次回に。

これは長くならないと思います。

 

 

お読みくださりありがとうございました。

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