恩田陸さんの蜂蜜と遠雷、

クライバーンコンクールとテーマも一緒なので、

ページが進む。

 

読んでいると、

 

音楽を聴きながら、

感じたり、考えたりすることは、

似てるなぁ、同じだなぁと再認識。

 

出場者の立場はわからないので、

この小説の通りなのかな、ドラマティックにしてあるのか、

想像するのみ。

 

特に、

神がかるような状況が多いけれど、

実際にこんな風に感じて演奏する人は

どれくらいいるのだろう?

 

現在、下巻の真ん中付近。

 

途中、リストのピアノソナタ・ロ短調が出てきた。

 

ここは、正直に言うと、

解釈に違和感があった。

 

もちろん、

曲の解釈は個人の自由。

 

これは、

恩田さんの小説の中での曲の解釈であって、

それを否定するつもりは全くない。

 

自分の解釈と全く違った、

 

というだけの話。

 

小説内での解釈は

19世紀のメロドラマティックな物語となっていた。

 

私がこの曲を聴く時は、

ストーリーがない。

人の姿が出てこない。

 

音を聴いて、

その音が連れて行く方向へ身を任せる感じ。

 

モチーフごとに

重苦しい不穏さや、幸福なきらめきなどに浸り、

あちらこちら、連れ回されながら、

その瞬間に現れるイメージを体験するような曲。

 

 

リストは、

タイトルが具体的で、

「こういうテーマの曲です」と宣言する曲が多い中、

このピアノソナタロ短調は、

シンプルなタイトルでテーマの提示もない。

 

その意味や解釈は、

色々な説があるけれども、

テーマがない分、

弾く側、聴く側に解釈が委ねられているのかもしれないし、

テーマという小さい枠に入りきれない、

壮大な構造なのかもしれない。

 

以前聞いたハフ氏の語りにあったのは、

リストの生前、インタビューして

本を書いていたリナ・ラマン氏によると、

このピアノ・ソナタ・ロ短調は、

テーマはなく、

純粋な「音楽」だ、というのが答えだったらしい。

 

著書を読んでないので、

確認できてないのだけれど、

そのことが頭に残っていたせいか、

この曲に物語はうかんでこなかった。

(ブラームスのピアノ協奏曲は、

自然とドラマが浮かんでしまうのとは対照的)

 

マサルのソナタ解釈を読んで、

改めて、曲を聴いてみる。

 

ハフ氏演奏のこの曲は、

やはりテーマではなく「音楽」を意識した表現なので、

今まで通りの心の動きになる。

 

ところが、

 

Youtubeで、

マルタ・アルゲリッチ氏の演奏を聴いたら、

まるで違う。

 

ドラマを見てるようにストーリーが見えてくる。

 

これです⬇️30分弱と長いのでお暇のある方に。。。

 

同じ曲が、表現の違いでここまで違うのか、という感じ。

これなら嵐が丘の世界もしっくりくる。

 

どちらが一般的に好まれるか、とっつきやすいかと言えば、

アルゲリッチ氏の演奏かなと思う。

テクニックも素晴らしいし、表現もドラマティックで心を揺さぶる。

 

リストの「音楽」の表現としては、

ハフ氏の方が忠実とも思える。

演奏スタイルはモダンな感じ。

 

その後、ホロウィッツ氏やツィメルマン氏も聴いたら

それぞれ素晴らしかった。

 

ツィメルマン氏は、

以前仲の良かったポーランド人の友人の推しピアニストで、

勧められて聴いてた時、

ダイヤモンドのような硬質なクールビューティー的音色が

私の好みとは違ったんだけど、

このソナタは好きだわ。

 

クラシックを軽く楽しむだけで、

これだけ色々考えたり、調べたりすることがあるんだから、

本職の方々の毎日はどんなだろう?

 

底なし沼のように深くて、

苦しくて、楽しくて、

闇もあるけど魅惑的で抜けられない世界なんだろうか。

 

蜜蜂と遠雷、今週中には読み終われそう。

 

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