先月に
を書いて
すっかり疲れて
当分ブラームスとシューマンから
離れたいと思いながら、、、
を今月書きました。
とても印象に残っていた話なので
書いておきたかったのです。
もうこれでおしまい!
と思っていたのですが、、、
前書き
『続、、、』で調べているうちに
素通りしていた
コントラルト歌手
ヘルミーネ・シュピース
が
80年代の
ブラームスの音楽と
クララとの関係に
影響していたかもしれない
と思い、
書くことにしました。
シュピースとのロマンスは
以前書いた
80年代の
の要因の1つかもしれず
交響曲第3番は
シュピースとの恋愛を
関連づける解説も多くあります。
英語版
作品の背景として
を書いた手前
シュピースのことも
関連する範囲で
ブログに書くことにしました。
ヘルミーネ・シュピース
コントラルト歌手の
ヘルミーネ・シュピース
Hermine Spies (1857–1893)
は26歳の
1883年
49歳(50歳になる年)の
ブラームスと出会います。
音楽之友社『ヨハネス・ブラームス
生涯、作品とその真髄』では
シュピースの年齢が
10年ずれて16歳とありましたが
26歳が正しいようです。
シュピースについてのオンライン情報は
英語ですが以下のサイトがわかりやすかったです。
ウィキペディア⬇️
Interlude(英語版)
というクラシック音楽のオンライン雑誌の記事⬇️
シュピース以外の
ユーリエ、エリーザベトらもあります。
パート2に
シュピースがブラームスについて書いた
友人宛の手紙の抜粋が載っています。
これは
『音楽之友社
ブラームス回想録集
ブラームスの思い出』
のディートリヒ
(FAEソナタで知られるシューマンの弟子で友人)
の章にも載っていた手紙と同じものと思われます。
1884年12月の
ディートリヒの娘宛です。
ディートリヒ一家に招かれた後に書いたもので
滞在中、
友人宅での
音楽家というより
1人の人間としての
ブラームスの面が見えたことがわかり
この辺りから
2人の間は親密になっていったようにも思えます。
シュピースとブラームスの関係
ウィキペディアの画像を見ると
往年のハリウッド女優
メイ・ウエストが
ふと頭に浮かびました。
古すぎて
わかる方は少ないかも(笑)
私も映画は見たことがなく
写真でしか知らないのですが、
親しみやすさと
グラマラスさが共存するような雰囲気です。
2人は数年、
夏の休暇を共に過ごし、
会えない期間は手紙のやりとり、
そしてシュピースの歌声に合った作品を作曲したり。
その話は少しずつですが
『音楽之友社
ブラームス回想録集』3冊にもあります。
上記の本や
ブラームスの書簡集の
編者エイヴィンス氏の解説によると
ブラームスの
シュピースへの惚れようは明らかで
2人を見守っていた友人らは
結婚すると思っていたようです。
書簡集の解説に
シュピースがブラームス宛に
共通の友人である
男性2人に
海岸で砂に埋められたりして
楽しい数日を過ごしたとか
ブラームスの恋がたきだといった
冗談ぽく書いた手紙を書いたとあり
1887年8月の
ブラームスの返事が載っています。
ヤキモチを焼いた
と冗談めかしたものです。
ただ、
前日に
8ページの悲しみに満ちた手紙を
書いたものの出せない(要約)
とあります。
内容はわかりませんが、
1888年ごろには
情熱は消えて友人モードになる前ぶれを感じました。
1892年
シュピースは弁護士と結婚しますが
翌年
妊娠中に36歳の若さで亡くなりました。
恋愛から友情へ
両思いの情熱的なカップルに見えるのに
なぜ結婚しなかったのか。
親子ほどの年齢差を意識
とも言われているようです。
シュピース関連の話を読んだ個人的印象ですが
ちょっと小悪魔的。
正直にいうと、
『ブラームス回想録集
ブラームスは語る』
フェリンガーの章を読んだ時に
シュピースって
性格的にどうかなぁ、、、
と感じました。
歌手としてとても人気があり
どうやら
男性にモテるタイプだったようで
(ビーチの砂埋め遊びでもわかりますが)
15歳の少年フェリンガーも
夢中だったらしいのです。
回想録集によると
彼がシュピースに
詩を贈ったら
名刺の裏に
「乳臭い坊や、なに私を見てるの」
というケラーの詩を書いて
彼の母親にことづけたそうです。
(詳しくは本をご覧ください)
、、、
ひどくないですか?
前出の
interludeにありますように
ブラームスの親友の1人
エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルク
は
シュピースについて
歌うことに真剣に向き合っていない
ひどく甘やかされている
とブラームスへの手紙に書いたそうです。
ブラームスにとってシュピースは
男性として惹かれる
魅力ある若い女性で
歌声も美しく
一緒にいると楽しい女性だったのかな
でもなんだか刹那的
人間的には
ブラームスの
大事な友人家族の
少年の恋心を傷つけるような行為に無頓着
ブラームスの他の女性の親友
人格者であった
クララやエリーザベトとは
違うタイプ
ブラームスの憧れで
別人格としていた
楽長クライスラー
(E.T.A.ホフマン小説登場人物)
の志が
まだ残っていたとすれば、
シュピースと結ばれず
音楽第一で
結婚はないということでしょうか。
1883年前後のクララとブラームス
80年代のブラームスとクララは
1882年12月30日
の日記には
今週はブラームスが訪ねてきて
彼は私たちと楽しく過ごした
お互いそれはうわべだけの交流だとわかっていた
1883年1月16日には
ブラームスのことを思うと
悲しい思いでいっぱいになった
(中略)
一番の親友や一番古い友人達と
もはやほとんど交流しないなんて
なんと孤独なことか
(後略)
など書かれ、
80年代の
ブラームスとクララの心の距離は
確かにあり
原因は不明です。
リッツマン編集ではなく
クララの日記の全記録分の出版物を読めば
記載されているのかもしれません。
ここで注目したのは日付です。
1882年には既に
ブラームスは
クララや
昔の友人達との関係が
悪くなっている
ブラームスとシュピースは
1883年の春に
初めて出会ったとありますから
ブラームスとクララ達の
関係が悪くなった
最初の原因は
この恋愛ではない
とわかりました。
ヨアヒムの離婚問題や
その他
何かがあり
シュピースら
新しい友人らと
過ごす時が増えたのかもしれません。
クララのシュピース評
クララの
シュピースについてのコメントは
リッツマン編に1つだけ載っています。
1883年1月28日の日記です。
シューマンの『楽園とペリ』
に出演していた
ペリ役のフィル
(オイゲーニエのパートナーだが
この時のクララは
親友として認識)
を大絶賛。
もう1人も素晴らしかったと褒め
その後、
シュピース嬢も同等に良かった
いつか際立ってくるでしょう
オリジナリティがある
と評価しています。
交響曲第3番・ヴァイオリンソナタ第2番
交響曲第3番が
シュピースの恋愛と
どれほど関係したのかは
今回調べた内容からは
わかりませんでした。
今日
改めて聞き直しました。
個人的感想は
曲調とイメージが結びつかず。
第3楽章などの悲しさは
年齢差から想像しうる悲恋
と思おうと思えば
そうとも取れる???(笑)
というわけで
個人的感想は
シュピースのイメージとは結びつかなかったです。
どちらにしても
絶対音楽ですので
自由に感じるまま聞いて良いのですよね![]()
『ブラームス回想録集』
に載せられた
この時代の新しい友人達との交流は
非常に楽しそうです。
第3番のモットー
FAF音型ファ・ラ・ファ
「自由だが楽しく」
がそれとして
FAs F音型ファ・ラ♭・ファ
は
心の中で
クララとの誤解や
ヨアヒムとの絶交など
何年も引きずることになる
悲しい思いなのか
などと
新たに思い浮かんだりしました。
一方
ヴァイオリンソナタ第2番
イ長調 作品100
ブラームスがシュピースのために
作曲した歌曲
(作品105の歌曲集など)
の旋律が引用されているそうで
シュピースが念頭にある作品。
⬆️レオニダス・カヴァコス&ユジャ・ワン
家では
ピアノ:バレンボイム&ヴァイオリン:ズーカーマン
のCDでも鑑賞しました
これはイメージと合致
納得感ありました。
シンプルに暖かくて良いです〜
クララをイメージした作品との違いを
とても感じます。
関連記事
1880年代
ブラームスとクララの絆が弱まった原因を探ります⬇️
交響曲第3番と
親友ヨアヒムについて⬇️
ブラームスと
ETAホフマンの小説のキャラ
楽長クライスラーについて⬇️
私的な趣味で書き始めたものが
いつの間にやら
こんなにもたくさんのブログ記事になりました。
自分でも驚きです。
何年かに渡って書いていますので
少しずつ考えが変化したり
訂正したり
見落とした書き間違い
食い違いがあるかもしれません。
ご理解いただけるとありがたいです。
お読みくださりありがとうございました






