たらこのDVDと一緒に、私の大好きなUAの「うたうううあ」のDVDもミトモのためにと買ってきた。

さすがUAだ。子供番組でもかっこいい。歌声もやっぱり最高だ。
出ている子供たちも、なんとなくエキセントリックで、子供番組独特のわざとらしさ感が無くていい。

それなのに、どうしてミトモはUAが歌っているのを見て泣き出すんだ?

いいじゃあないかううあ。
いいじゃあないかともとも。

どうしてこの良さが分からないのだろう。
1年近くぶりに、区の保健師さんから連絡があった。

どうしていますかと聞かれたので、昨日寝返りができたことを言うと
「それはちょっと遅いですねえ」と言った後、来月にセンターのほうで先生が来て診てもらえるから診せに来ないかと言う。

診せたらどうなるんですか?と聞くと、それは先生の診断によると言う。
仕事が有るので絶対に行けるかは分からないと言うと、そうですかと残念そうに言われた。

あまりそのことは気にしていなかったし、実際できるようになったのだから、全く問題はないと思っていたのだけれどそうでは無いのだろうか。

それよりも結構喜んで報告したのに、それには触れず今までできなかった事だけに反応されたのがショックだった。

子育てと介護と、共通する部分が沢山あると思っていたのだけれど、違うのだろうか。
できることに光を当てること、そしてまずは相手に共感すること。
それが介護の基本だと私は思っている。
子育ては違うのだろうか。
先週の月曜あたりからミトモが咳き込むようになった。とはいえ昼間は相変わらず元気で、夜中になるとゴホゴホとやっている。痰もかなり出るらしく辛そうだ。

取りあえず元気だし、熱もないのでそのままにしておいたが、1週間たっても症状は変わらないので近くの小児かも有る診療所へ行くことにした。

気管支炎でしょうと言われ薬を沢山処方された。薬の説明は一切無かった。
渡された薬の説明書に、いきなり飲み薬の中にリンデロンが入っていたのには驚いたがそのまま飲ます。

看護師さんたちはとても優しかったけれど、待合室の隅っこがホコリだらけだったのが気になった。

多分もう来ないだろう。
彼の祖母の17回忌を滋賀でやるというので来れたら来てと、彼のお母さんから言われていたが行かないことにした。

30人もの親戚一同に会うのも億劫だったが、その中でミトモを守る自信が無い。
職場の忘年会で、あまりミトモに関心を寄せない人たちばかりでも大変だったのに、関心のある親戚たちからミトモをずっと傍において、余計なものを食べさせられないようにするのは私にはしんどすぎる。
ましてや彼の祖母の17回忌。何で私までが行かないといけないのかととても不思議だ。

私の実家ではそういう親戚づきあいが薄かったので、自分のおじさんおばさんとも20年以上会っていないし、従兄弟がどこでどう暮らしているか全く知らない。従兄弟の名前も半分くらいしか覚えていない。

だから彼の今も従兄弟たちと集まったりするような親戚づきあいが、私にはどうも理解できない。
もちろん否定はしないが、その仲間に私を入れるのは勘弁して欲しい。

彼にとっては30年以上仲良く育った親戚たちかもしれないが、私には今まで全く交流したことの無い他人の集まりでしかないのだから。
夜、彼がいつものようにミトモを寝かしつけていて私は隣の部屋で本を読んでいると、「おー、すごい」と聞こえてくるので覗いてみた。
するとミトモが布団の上でくるんと寝返りを打っていた。

彼が寝返りの練習をしているうちに、とうとう全くの一人でできるようになったらしい。
うつ伏せにさえなれば後は一人で座ってこれるので、1歳1ヶ月にしてようやく臥位→座位の自立だ。

彼は最初は嬉しそうだったが、その後寝かしつけようとしても勝手に寝返っては座り、全然眠ろうとはしないミトモに悲鳴を上げていた。

でもまだうつ伏せから仰向けには寝返れないので、寝返ってしまったら座るしかないのだけれど。
ミトモが「はいっ」と何かを渡すたびに「ありがとう」とお辞儀をして受け取っていたせいか、ミトモも何かを渡す時に「あーーー」と言ってお辞儀をしながら渡してくるようになった。

私が「はいっ」と何かを渡してもそれはやらないので、受け取ったお礼だということは、全く分かっていないらしい。

私が受け取らないでいると、私の手をとって掌の上に乗せては「あーー」とやっている。
久々に3人で天王寺へ買い物に行く。

欲しかった本を買い、彼はジーンズを買い、ケーキセットを食べて、それから「たらこ~」のDVDを買って帰ってきた。

以前CDを買ったときには画像はパソコンでしか見られず、ミトモはそれを見たいがために、私がパソコンの前に座るとそれを見せろと催促する。

なのでDVDが出ると聞いて、それは買わなければと思っていた。

家に帰ってDVDを再生する。
32Vのテレビにどーんと映し出されると、ミトモは大興奮で踊りだした。

その後3回くらいまでは一緒に楽しく見ていたけれど、5回目くらいからは私てしまい、それでもミトモは飽きずに楽しそうに踊り続けていた。
職場の忘年会に、座敷やから連れておいでといわれ、ミトモと一緒に参加する。

前日の昼休みに、ヘルパーのおばちゃんたちは何食べさすか分からんから気をつけないとねえと話していた。
まだ食物アレルギーの認識はあまり広まっていないし、中には「そんなん気にして食べさせへんからや」という人もまだいる。

彼のお母さん(ミトモのおばあちゃん)も昔は、卵と牛乳は食べたらあかんのやろと理解を示しながらも、乳ボーロをくれたりもした。

なので、常に近くにおいて目を離さないようにしていた。
ミトモはおとなしく持ってきたおもちゃで遊んでいた。
その間も、周りの人たちから「これミトモちゃんに」と茶碗蒸しを持ってきてくれたり、卵のところは入れへんようにすくったからと卵で綴じた雑炊を持ってきてくれたり、やっぱり目を離しては駄目だと痛感する。
もちろんアレルギーのことは事前にみんなに知らせてある。

昨日一緒に話しをしていた人が、ちょっと見ておいたるわーとミトモを抱っこしていてくれたので、少し落ち着いて食事をしていると「これ食べる?」とミトモに何かを食べさせようとしているのが見えた。
見るとてんぷらの衣だった。
「それあかんてー卵入ってるー」と叫んで何とか口にせずに済んだ。

彼女は「うわー絶対そんなおばちゃんおるでーって言うてたのに、自分がなってもたー」とショックを受けていた。
やっぱり目を離しては駄目だ。
昨日の誕生日パーティで、Mさんからミトモにとイチゴ模様の帽子をもらった。
Aくんとお揃いだ。
ミトモは黒と白のしま模様で、Aくんはクリーム色と白のしま模様。

(夫)さんに普通は逆(女の子がクリーム色で男の子が黒色)だろうと言われたらしいけれど、ミトモには絶対黒色だろうと思って選んだそうだ。
実際、ミトモにはクリーム色は似合わず、黒色がぴったりだった。

もらってすぐには、被せると嫌がってすぐに脱いでしまい、Mさんに申し訳なかったのだけれど、二人が帰ってから鏡の前で「かわいいねー」と言いながら被らせていると、嬉しがって被るようになった。

そして事もあろうに、帽子を被った自分の姿を見て「かーいー」と言い出した。

それからは帽子を被せてと私に持ってきては、被せてやると自分の姿の映る場所に行って「かーいー」と嬉しそうに見入っている。

多分意味は分かっていないとは思う。もしかしたら帽子を「かーいー」と言うものだと思っているのかもしれない。
でもヤな女だよそれは。
アレルギー仲間のAくんも11月生まれなので、少し遅めの誕生日パーティを我が家で開く。

Aくんは卵と牛乳のほかに小麦にも反応するので、卵も牛乳も小麦も使っていないスポンジケーキをネットで見つけて、それに我が家でデコレーションをする。
もちろん生クリームも駄目なので、豆腐をしっかりと水切りし、それをミキサーで滑らかにクリーム状にして、三温糖とりんごシロップとココナッツミルクで豆腐臭さをごまかして、似非生クリームを作った。

料理は人並みにできると自負しているけれど、お菓子作りは全く駄目で未だにケーキなんて作ったことが無い。デコレーションだけと言っても、私には至難の技だ。
とにかくイチゴと市販の飾り物でごまかし、何とかケーキには見えると思う。

ケーキ


AくんのママのMさんが、ケーキを食べられるなんて夢見たいと喜んでくれたので、不恰好なケーキも役に立ったと嬉しくなった。

誕生日パーティと言いながらも、子供2人には手づかみに食べられるように温野菜を用意しておいて、大人2人は赤ワインを飲みながら、昨日の夜から作っておいた料理で盛り上がる。

そしてほろ酔い気分になりながら、4人で不恰好ケーキを食べた。

Aくんもミトモも、食事後だと言うのにバクバクと食べまくり、ケーキが美味しいもんだと知ってしまったねえ、これからケーキを見たら欲しがったらどうしようと大人2人は心配する。

それでも、2人ともケーキを食べることができるんだと知ったことが嬉しい。