啓示書である『おふできき』第15号は明治13年1月から教祖が御執筆になるものだが、その最後のほうに驚くお歌があり、その意味を本日は深めたい。
このたびのつとめ一ちよとめるなら
みよだいなりとすぐにしりぞく (15-88)
明治13年の年表を見ると、「はじめて、三曲を含む鳴り物をいれて、ようきづとめがおこなわれる」とある。明治13年は神様が望まれた「おつとめ」が形式的にも地上において初めて現出した記念すべき年であった。
このはなし四十三ねんいせんから
むねのざんねんいまはらすてな (15-81)
[この話四十三年以前から 胸の残念いま晴らすでな]
天保9年に現れた神は、43年かけてようやく、本心を遂げるチャンスが来たことを祝っている。すなわち、おつとめの体制が信仰者の中から形成されたことを書き残されたのである。
つとめ、鳴り物などが「おふでさき」にも頻出用語として出て来るが、その中の一節が冒頭のお歌であった。
漢字を入れて、書き直すと以下のようになる。
この度のつとめ一条止めるなら
名代なりとすぐに退く (15-88)
「つとめ」という祭儀の実践が信仰の要として、何度も繰り返し諭される。人間側には、このつとめの意義が中々了解されない。秀司さんは、地福寺の配下で既存仏教の一部としての宗教活動に固執する。そして翌年には出直される。しかし、秀司さんから見たら、母親であり老婆の意図は別なところにあった。親神様は、独自な独立した宗派を立てることにこだわる。たとえ官憲からの迫害や弾圧も厭わない姿勢である。
その「つとめ」は、人間の成人、魂の進化と一体した何か重要な意味が内蔵されている。しかし、当時の人々は形式面で言われたように、おつとめをすることで精一杯だったろう。
従来、名代とは、秀司の庶子の音次郎だとされていたが、これは何かの間違いであるらしい。
今回の新たな理の諭しとして、名代とは教祖であることが分かった。その意味することは深刻である。教祖は明治20年に御身を隠されることになるが、その預言がこのお歌に込められているという。7年前に教祖の昇天が預言されていたことになる。
明治20年正月26日に教祖が御身を隠されたが、115歳の定命を縮められたことになった。それは、子供可愛いゆえから、つとめを急きこむために命を賭したとされている。
神様の望まれる、真のつとめとは何だろうか。そのつとめを止めるから、名代である教祖が御身を隠されることになってしまうことになる。人間の成人の遅れが、教祖の命を縮める原因となったことが、このお歌の大きな意味だということになる。
名代とは神の名代であり、教祖という啓示者の役割を意味する。目に見えぬ神が、神人一体となって教祖の肉体を通じて、神の言葉を発するのである。そうした特殊な機能が、名代という言語に現れている。 教祖が御身を隠された後に、神の名代となられたのは、本席様に他ならない。
「かしものかりもの」の理に目覚め、すなわち神様の守護を真から喜ぶことが信仰の基盤にある。その喜びや報恩感謝の精神を祈念するのが「おつとめ」という日々の祭儀である。
日々、月々、年々と勤められる「おつとめ」。
教祖140年祭に向けて、つとめの意味が深化されないといけない。
神と人を繋ぐ、神人和楽の世界観がつとめに体現されている。
さらに、私達の日常活動そのものも「つとめ」であり、日々の労働や仕事そのものを意味する。
生きていくことの喜びを味わい、日々元気に勤められることは人間の喜びである。
仕事の意味(meaning of work)、祈りの労働(Labour as prayer)、祈りの経営(management as prayer)がつとめの意味を深めるために考究されねばらない研究課題となる。