二代目の啓示者である本席様のお子様は3名おられて、その子供たちも屋敷の者として教祖の時代から引き寄せられた。そこには引き寄せる大きな理由があり、神様の期待がかかっていたことは確かである。やがて三軒三棟の理として、3人の子供たちは独立した家をもつことになるが、そのいきさつは「おさしづ」に明確にされている。
本席様の長男である政甚さんが、大阪宮川小梅さんと縁談が進み、その許しがあり、新たに独立した家を持つことが神意から求められたのが、明治28年5月ころであった。
明治28年5月19日の割書きに「政甚東の方本席御宅にて住居の事情願」がある。これは単体としての伺いではなく、教長(初代真柱)の身上の伺いが繰り返される中での、本部員への心得のために出された神意の一部である。単に本席の長男の問題というよりも、天の組織つくりとしての刻限話的に状況が設定されているように思われる。
この日の「おさしづ」から、重要な神言を引用すると以下のようになる。
「・・・旬に治まれば末代、と諭しおこう。神一条に濁り曇り更にない/乀。なれど、取りよう伝えようによりて曇りが始まる。曇りては神の道とは言わん。よう聞き分けてくれ。道というは、どれから教えに来たのやあろまいし、元々始め掛け事情より聞き分けてくれ。神一条の理は真っ直ぐなもの。真っ直ぐなればこそ、今日の道と言う。一つ治まれば、末代の事情、これ聞き分け。分からんから分からんようになるもの。もう一つ分からなんだら、すっきり分からんようになる。取り返やしのならんようになる。これ聞き分けてくれるよう。」
当時の教会本部は資金難のなか、新しい建物を建てることさえ苦労していたことが伺える。本席の子供のために家を建てるなど、公私混同のような不満もある中で、人間としての本席様からも息子の家を建設してくれとは遠慮して言えなかったようだ。しかし、神が入り込んだ本席の口からはこのような発言が出された。冒頭部は省いたが、これまでもなかなかこの事案が進まなかったこと、本部員の心が遅れていることが暗に諭されて、さらにこのような道の根本的なことが諭されているのである。こころを作ることが遅れていること、濁っていることが厳しく諭されている。資金難や外部からの環境要因のことなど心配がある中で、本部員たちの心が澄んでいないことがいつものように諭される。どんなに神様が話しても、人間側の主体的な受け取り方に澄んでないもがあったり、疑いや不安や濁りがあれば、神も守護のしようがないのである。この道の教えは、どこから学んだものではない。教祖以来、天直接の啓示によって、教えが独立してもたらされたものである。仏教から学んだものではない。神社の神職から学んだものではない。隠れキリシタンから教わった一神教の教えでもない。草深い大和の田舎の中で、だれかから学んだものではなくて、目に見えぬ神が教祖や本席の肉体を通じて、神の思惑を啓示して、この道は発展したきたのである。政甚の縁談からその一家の独立にあたり、このことは末代の意味がある事情であることが諭されている。
今がまさに心を治める旬だと説かれている。その治まった心を土台として、次の守護をしていくことが神様の計画にある。いつが旬なのかは、神意がもたらされる中で、立てあう事情の中から人間が自発的におさめていくのが神一条の神髄である。
結論を先取りすれば、政甚家には本席の次の後継者としての神意を取り次ぐような期待が込められていたと思わざるを得ない。それが末代の意味であり、道の根幹がここに諭されているのである。これは天の組織つくりの上の大切な一里塚なのである。教長もこの中で、身上となり、この政甚の独立した家を作ることの方針が定まるのである。 (続く)