今度は水戸市の文化財のお話です
関東鉄道バス吉沢車庫ゆきを水戸駅から乗車すること約10分位でしょうか。
「薬王院前」 バス停で下車するとすぐ目の前に見える薬王院の門。
この突き当りにあるのは桓武天皇の勅願により大同2年(807年)に創建された天台宗の古刹。
吉田山薬王院。
ここから800m離れた場所に吉田神社があり、その神宮寺として創建されたお寺なのだそうです
茅葺屋根の仁王門。昭和34年5月22日に県指定の有形文化財に指定されています。
歴史と趣を感じます
歴史の長い寺院だけに、境内には文化財に指定されたお宝がいっぱい
一見の価値あるお寺ですよ。
本堂にあたる建物は室町時代に建てられたと言われています。
当時水戸を支配していた江戸氏の藩主・藤原通泰公により享禄2年(1529年)建立。
その約150年後に徳川光圀公により大修理が行われました。
こちらの五輪塔は松平亀千代丸の供養塔、僅か4,5歳で亡くなった徳川頼房公の二男つまり光圀公のお兄さんにあたる人です。
この五輪塔は光圀公の父、頼房公により建立されその後光圀公が若くして亡くなった自分の妻をこの薬王院にて手厚く供養したそうです。
ですが斉昭公により亀千代丸公と光圀公の妻泰姫の遺骨は徳川家代々の墓である瑞竜山(常陸太田市)に改葬されたと伝えられています。
古刹ゆえ紹介したい所は他にもありますがまた後程。
今回の主役は本堂です
現在、屋根の葺き替え・修復工事が行われています。
先日1月27日(土)、幸運にもその内部見学する機会に恵まれました
受付を済ませ、定刻の10:15になると同時に係の人の案内で本堂へ入り住職のお話と今回の見学会に関する諸説明等を経ていよいよ足場を昇り、屋根の葺き替え現場に移動します。
滅多に見られない屋根部分。。
1枚1枚、銅板が張られています。これを手作業で行うのだから大掛かりな仕事ですね
言い忘れましたがこの本堂屋根は”茅葺型銅板葺”が用いられています。
風雪や火災等を考慮しての対応でしょう。
その銅板も長い年月により摩耗し、熱伸縮によるヨレが生じたり劣化が進み今ここに葺き替え工事が行われているのです。
”令和の大修理”が行われるきっかけとなったのは、令和2年(2020年)に本堂内陣で複数回雨漏りが確認されたことでした。
調査が行われ、結果小屋裏の棟際部分から雨水が浸水していたことが判明したのです
そこへ銅板葺の劣化が伴い、修理が行われることになりました。
下の部分は木製ですね
新築工事や修復工事の際、工事した年の焼き印のようなものを木材に刻み込んであるとのことで。
あ、あった
「令和五年度修補」と確かに刻印されていました。
これで私も歴史の証人
交換で取り外した銅板の方にもサインらしきものが書かれていました。
職人さんによる”裏書き”(職人さんのメモ書き)と呼ばれるものだそうです。
反射の具合でよく読み取れませんが担当した業者さんの住所と営業所名らしきものが書かれています。
前回行われた修復工事(昭和46年)時のものです
なんと!今回工事を行っている業者さんと同じ会社だったんだって
発見した職人さんが師事を受けた方の名前が書いてあり、しかもその方はまだ御存命だそうです
裏側に廻ると、職人さんが作業をされてる様子を見ることが出来ました
工事は今年の8~9月頃完了予定との事。
紅葉の季節には生まれ変わった屋根となった本堂が見られることでしょう
こうして、”令和の大修理”工事現場見学ツアーは終了しました。
次回訪れる時は、工事が完了した時かな
御神木・銀杏の木に守られて。。。
樹齢500年だそうです。
薬王院の歴史を知る木ですね
歴史的文化財、末永く保護していかなければならない遺産です。
本日も御訪問・御閲覧誠にありがとうございました!
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