IT業界の永遠の課題、システム障害について少しネタにしてみます。
システム障害については理屈の部分や技術的なことについては、専門的なサイトにいくらでもありますので今回はそこから離れてみる。
題するならば、「人間の認知や感情とシステム障害」
といったところでしょうか?
システム障害は、本番運用で出たものを差します。
しかし、ただ「障害」と言うこともあります。
この時に、「障害」の意味の範囲が非常に広い。
ということがあります。
本番運用での障害も含めば、開発段階のテスト障害も含まれます。
理屈的には文脈で分かるのですが、
理屈とイメージはまったく別ですから、
理屈では分けていても、イメージでは分けていない。
右脳と左脳で理解状態が統一されていない。
とでも言うのでしょうか?
ですから、単に「障害対策」をして「障害を無くそう」とすると「本番障害」はなくなりません。
なぜか?
「障害」についてのイメージが本番も開発中も関わらず同じだから。
なので、「障害を無くそう」として開発中にテストをすると、障害の検出が不十分になります。
だって「障害」は無い方が良いのだから、検出も少ない方が良いですから。
また、開発中でさえ「障害」が発生すれば、「障害分析」という名の糾弾会がはじまります。
面倒で仕方がない。
「障害」を検出しても良いことはありません。
強いていうならば「自己満足」だけです。
こんな状態での、最良の障害対策は「障害を作り込まない」となってしまいます。
ですから、主語無しに「障害」という言葉を使ってはいけません。
多分、自社のお偉いさんはこれが分かっていないと思う。
取引先のお偉いさんは多分、分かっていると思う。
「障害」に対する考え方が、
前者は、「障害」を無くす。
後者は、「障害」を出しきる。
という風に違うからだ。
短いお言葉でもこの考え方は読み取れる。
両方主語は無いが「障害」を出しきるということは、
開発中に「障害」を出すことを良しとしているということ。
これは感情的にもテスト工程のモチベーションにつながる。
テスト工程のモチベーションが上がればどんどん「障害」を検出して品質は上がっていく。
結果、「本番障害」は減っていくだろう。
「本番障害」が出る度にいろいろ小言が出てくるが、
そういった方針から変わらないと、「本番障害」はなくならない。