壁 | ときには真珠のように

ときには真珠のように

思考は光速を越える

若い頃、20代、30代前半のころ、何度かぼくの前に壁が現れた。

それはその上端が見えない、いやそんなものはないような、高い高い壁だとその頃は思った。

例えば、25歳のころ、凄惨な自動車事故をおこした。それだけでかなりショックだったのだが、さらに仕事の方が行き詰まり、どうにもならないような状況に追い込まれ、毎日が辛くて、苦しくて、もう冷静な判断ができない状況だった。

ありとあらゆる不安、恐怖が、どこからかやってきて、毎日毎日ぼくを責め続けた。
自分は未熟で愚かでダメな人間で、この世に存在する価値がないのだと、毎日毎日思っていた。
それまで甘えた学生生活をしていて、そんな深刻な状況になったことがなかった。

そんな時、何かの本を読んで、その本にあったことを参考に、毎日その日にあったことを列記して、「よかったこと」、「だめだったこと」を書き綴っていた。
ダメダメな状況の中で、とにかく何かプラスになることを探していた。
そうしたら、そんなに深刻な状況でもないなあとなんとなく感じるようになった。

そして、よく詩を書いた。
生きることや、愛や、幸せについて、自分の思うことを書いた。
そのノートは今も残っていて、その時の心情や状況が書いてあって、懐かしい。
今、思うと、何故こんなことで悩んでいたんだろうというような、些細なこともあった。

そして、冷静になることができ、さらに周りの人、先輩や同僚、後輩などに助けられ、壁を超えることができた。
それは――人間的に成長したのだと思う――ことにしている。

その後もそんな状況は何度かあったが、いろんな手段に乗り越えてきた。
そのたびに人間として成長したのだろう――と思うことにしている。
そして、人生とはそういうものだと、感じるようになった。

打たれ強いとよく会社の人に言われるようになった。
強烈な上司からの叱咤を受けても平然としているらしい。
そもそも打たれていることを分かってないとまで言われた。
パンチドランカーと言われることもあった。

まあ、今までかなり厳しい上司にあたったり、厳しい仕事をしてきたから、それなりに慣れているということもある。

上端の見えない壁。
いろんな知恵や努力でそれを乗り越えたときの充実感は心地よい。
それは苦しい思いをしたほど、心地よい。
それは周りから評価されないときもあるが、ぼくは自分で自分の努力を認めて、ひとり納得する。

それでいいのだ。

そして、自分があきらめない限り、壁は必ず乗り越えることができるものだと思うようになった。
自分がそう思うことが大切であり、他人の評価は別である。
最近、そう思うようになった。