おはようございます。朝は気持ちがいい!と思えるのは健康の証なのでしょうかね。私はどうかな。

 

最近、眠れないことが多いです。なので、あれこれ考えちゃうのですよね。眠れないから考えるのか?考えるから眠れないのか?それ以外に大きな要素が一つあるのですが、それは公表できるのかまだ不透明です。いやあ、公表できないから、様々な憶測が出たり、不信感に繋がったりもするのかなとも思うのですが、それでもまだ一ヵ月はお知らせしないと決めているのでしないでしょう。周りを見渡しても、この手のテーマで悩んでいる人は結構いるように思うので、人類・人としてのテーマなのかもしれませんね。

アメンバーでは小出しにしていますので、といっても断片的なことしか書いてないのでハテナ?な感じかもしれませんが、読みたい方はメッセージをくださいませ!

 

さて、ブログを書いている理由として、私は自分の気持ちの解像度が低くいのが辛く悩みだったので、中学生の時に日記を書き始めた延長に書いていることも理由の一つだと考えています。

解像度というのは、画像の粗さみたいなのを表現するものです。昔のガラケーは画像の解像度が低く、最近のスマホは画像の解像度が高いみたいな使い方をします。私が今回使っている、気持ちの解像度が低いというのは、喜怒哀楽の感情が強すぎて、細かく気持ちを把握できずに、感情に支配されて、何が何だか大雑把にしか分からない状況になりやすいということです。「超楽しい!」「まあ楽しい!」の差くらいは分かるのですが、その内訳みたいなのはぼんやりとしか分からず流してしまいがちです。それでもいいのかもしれませんが、これだと、手応えがないというか、日常に埋もれてしまうというか、それが勿体ないなと思ったのです。昨日の超楽しいと、おとといの超楽しいの差なんて分からなくなってしまう。それだとなんか未来に活かせない感覚がしたのです。(このぼんやりとした表現がまた解像度が低いのかなあ・・・なんてがっかり)

 

今日の明け方、ふと、私はまだ解像度が低くて悩んでるなと思いました。

特に、喜怒哀楽のうち、怒哀が苦手なんですよね。これら解像度を上げるには、自分と向き合うので結構苦しいですよね。

「苦しいよ、うわあ感情に押しつぶされて、考えがストップしてしまう」~~~なんてことの繰り返しを今まで何度してきたことか。きっと何万回のレベルだと思います。

 

無理に解像度上げなくてもいいんじゃない?とも思う時もあります。ただ、解像度を上げないと、繰り返さないように工夫することができないのではないかと思っているのですよね。その辺、自分は真面目だなと思います。

 

そして、解像度を上げるには、きっとポイントがあるのではないか、と思ったのが今時点のところです。

 

勉強しないとだなあ。

己を内面を成長させるための勉強というやつです。

 

そして、寛容さがもっとあったら楽だろうなとも同時に思いました。

ここ数年の思い出を振り返って、寛容さがすくないなと思う出来事がいくつか思い出されました。

でも、寛容さについては、まだ上手く考えられていないので、今回はメモ書き程度になります。記事タイトルに書いたのに、おまけ程度の扱いで、期待された方すみません。

 

書くことを積み重ねて、解像度が上がればラッキーなことだ。

 

長くなりましたがお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

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