今回、私がいかにして病と格闘し、体調を整えるべく奮闘し、試行錯誤の毎日を送って今日まで生きて来たか、記事にしてみようと思う。

 

 私は、今日でもなお原因不明の先天性の腎臓の病を抱えて生まれてきた。

 

 物心ついた時からなぜか私は、子供心に時々嘔吐をし、両親から異様に「小便をがまんするな!塩辛いもの食うな!水をたくさん飲め!」と、言い聞かされることに、何んとない違和感を覚えて成長した。

 

 にもかかわらず私の幼い食生活は乱れていた。まず、乳離れに私はオレンジジュースしか受け付けなかった。お粥も重湯もダメ、パンもダメ、とにかくエジソン式に試しても私は悉く嫌がったとされている。

 

 結局、どういうわけだか私の両親は、困り果てた挙句に与えたラーメンを、私はおいしそうにすすった。

 

 私は、同時に鼻のつまりと中々立って歩こうとしなかったのにも両親の心配を買ったようである。母方の祖母が、天理教の寺院の方に相談しに通ったことがあったようだ。

 

 ある幼少期の朝、私は「おなかが痛い!おなかが痛い!!」と泣き始めて、母はいかにも不安そうな表情で町立病院へ電話をかけ、レントゲン写真を撮るも、「二つの腎臓の七割は、フヤケてしまっている。もし、このまま放置すれば、十代を生きられる保証はない」という旨のことを医師から告げられる。

 

 しかし偶然にも、その時の医師の知り合いに、北大医学部付属病院に勤務している医師がいるとのことで、私と母は地元を離れた大学病院の中で過ごすところとなった。私が家族を引き裂いたようなものであるのが、何とも申し訳ない(謝)!

 

 入院生活の方は、仮にも幼児である。他の入院患者の子供たちと、病院内を探検するぞ!と、ふざけて走り回り、看護婦を怒らせることもしばしばの、やんちゃな入院患者となっていた。

 

 病室では断トツに私が水分摂取量トップであった。(まだ当時は透析が当面の問題というわけではなく、腎機能もまだ比較的大丈夫であったため、大量の水分摂取が勧められたのである)

 

 手術は2回。いずれも腎臓摘出手術である。もちろん全身麻酔だ。今は違うが、当時の酸素ボンベは本番の酸素が流れている時は何ともなかったが、練習の方は、余りのゴム臭さに身震いするほどのものだった。

 

 担架に乗せられるとき母が、「頑張るんだよ!」と私を励ましていたのが記憶に残っている。

 

 何とかオペは成功。成功していなかったら、おそらくこの記事は書かれていない。

 

 その院内に、一人の女の子がおり、私は良くその子とつるんでいた。食事係の医療スタッフの方に交じってその子と一緒に大声で「ごはんですよ~!」と、声掛けをふざけてやったものだった。

 

 退院の時、彼女は私に幾枚かの折り紙を折ってプレゼントしてくれた。だがそれは遠い思い出となってしまった。

 

 地元に帰省した私は、6歳の9月頃という、遅れた幼稚園入園をした。

 

 愉しかった。

 

 無事小学生になり、小2で旭川へ引っ越すところとなる。

 

 小2の夏には、底流睾丸という病気にかかり、夏休みは大部分、厚生病院入院という日々であった。なお小学生のころ、度々、気管支喘息に罹り、入院したこともあった。

 

 中・高と、それ程重大な病にはかからなかった、統合失調症を除いて。

 

 私は甚だしい空想壁の持ち主であったため、学校の授業をほとんど聞かず、誰とも話をせずに一人でず~っと考え事をして過ごしてきた青年だった。

 

 専ら自己内哲学談義である。そのうえ、自意識過剰で自己肯定感が低く、他のクラスの女子生徒からいつもイジラレといういじめを受けても言い返すことをしなかった青年期。

 

 その結果、大人になる準備がまるで整はないまま、やれ大学受験、やれ就職、という話になると、不安でしょうがなくなって、どうせ何にもなれないなら…、そうだ!宗教をやろう、と思いなした。私は、どこでもよかったが、仏陀再誕と噂された幸福の科学の講師になろうと思い立った。

 

 私は、宗教関係の書物をしゃにむに読み漁った。登下校時に、毎日途中の公園の大木を背に瞑想のまねごとをした。

 

 そうして私はおかしくなった。大川隆法の声なるものを聴き、自分が歴史上のどんな人物とも話が出来る、とささやかれる。

 

 それらの声を信じ切っていた私は、次第に危言寄行を増していった。

 

 大学受験も、それら思考のざわめきがうるさすぎたため、とんでもなく低い点数しか取れずに不合格。その後、旭川大学医学部付属病院精神科を受診するところとなった。

 

 処方された薬の副作用はひどいものだった。死にたいと思うほどの足のムズムズ感と、かなりの体重増加。次第に無口になる。

 

 数年後、引っ越しによって今の病院へと変わるところとなった。

 

 それからしばらく十数年間は、入院もせずデイケアと作業所にお世話となる。

 

 32才の冬には膀胱にカテーテルを刺す検査入院、34才春、腹膜透析を始めた。

 

 それまで私はあまりに毎日大量の水を飲んできたので、一日800㏄に減らせと言われた時は悩んだ。悩んだ挙句、祈った。祈りまくった挙句になんと、一日ほぼ800㏄をキープすることに成功してしまったのである。

 

 2012年11月、血液透析との併用を始めた。2年後には週3回4時間血液透析という流れで今日にいたる。

 

 私が摂った健康法の裏技がいくつかあるので紹介したい。まず、断食は効いた。足のムズムズがかなり断食で軽減される。私は今、一日空腹時間を最低16時間は開ける、間欠的断食をやっている。回らなかった呂律も回るようになったのも断食である。一日3食は食べすぎだと思う。

 

 それと、意外と効果的なのは、スピリチュアルな信仰だ。エドガー・ケイシーのことを考えただけで足が楽になることも多い。

 

 坐禅。最近腹式呼吸がうまくできないのが難点だが、上手くゆけばかなり落ち着く効果がある。私の精神の病って、考えすぎ&思考の抑圧でなっているのかもしれない。

 

 ほかにも随時、何か新しい秘策が出来れば記事にしたい。

 

 今回はとりあえず、この辺で失礼します☆彡

 

 あるがまま、あすがままに☆彡☆彡