自分のアタマをコントロールすることというのは、なんて難しいのだろう!思考が暴走して止まらないのだから。欲、執着、比較、不満…、マインドの強欲で満ちている。

 

 「世の中は 食うて 稼いで 寝て 起きて さてそのあとは死ぬるばかりぞ」と、鎌倉時代の僧、一休宗純は詠んだ。僕もあれ位、シンプルに生きてみたい、しかし、中々できる様でできない…。

 

 

 占いについて、やれ明日は吉だ、或いは凶だ、と言っているけれども、とどのつまり、それらは妄想に違いない。

 

 彼は自分を差別した、とか、自分にああ言った、罵った、打ち勝った、等、妄想・雑念だらけの自分に、一休のその句を実際に生きようとするのは、何とも難しいことなのだろう?

 

 私はいつも、何かを、松葉杖のように頼ってきた。何かに自分を丸ごとなげうってしまうから間違えるのだ。その中心には心配、という魔物がいるから。

 

 

 最近、ちょっと、神経にきていた。妙にピり付いていたし、時々手までも震える。自分の足のムズムズ感を含めてそれらは、多くの割合、薬の副作用とされているが、それもスピリチュアルな信仰を取り戻し、心配が取り除かれることによって軽減されるということが分かった。

 

 冗談は、スベってなんぼ、受けたら儲けもの。この心構えのある人は、強いだろうと思う。足ることを知ることに通じていることだろう。全てにおいてそれは言えるのではないか?人間、所詮、死んでもともとなのだ。せいぜい、欲をかかずに、前向きに生きればよいのだ。

 

 身近には、この頃健康に関した話が多く、驚いている。詳しく書くことは慎むけれども、姉も、心配なところがあるかもしれないらしく、母も、2~3週間ほども、風邪が治らず気をもんだ。僕など、降圧薬をのどに引っ掛け、暫くのどの焼け付く感覚に苦労した。おまけに看護師さんからは、日々の食事ごとの栄養成分を記すよう、言われてしまった。だが、これも、自分にとって健康を見つめなおす格好の機会なのだ。チャンスなのである、ありがたいとおもはなければ!

 

 マーフィーの法則を使ってみたいと思うようになってきている。ポジティヴな気持ちで本当になりたい姿をイメージしていると、それが実現するのだそうだ。僕は、質素な服を着て、簡素な家に住まいつつも、霊的に優れた仕事をしたいのだが…。いや、そしたらその前に、健康なフィジカルの方が先ではないだろうか?

 

 う~ん…、僕に次々と襲ってくる心身の不調は、本当は、僕を霊媒として使えるように仕組まれた、試練なんじゃないかなぁ~?

 

 でも、まあ、ちゃんと、愛と奉仕と、中道に沿った思いと行いをすれば、もし仮に、霊媒になれてもなれなくても、どちらでもよいのだ。

 

 今回はとりあえず、この辺で失礼します☆彡

 

 あるがまま、あるがままに☆彡☆彡