私は安堵している。災難も失敗も、あらゆる苦難には必ずプラスの意味がある、何かを教えてくれるのだ、と知って。

 

 実は今月は、私にとって身体のカルマが現れやすい月とされてをり、その時期に入るたびにひやひやし続けてきたものである。

 

 何度も何度も、その解決を祈ってきた。

 

 占いを収めるものとして、自分の停滞期がわかっていながら、どうやって心を保てばよいのか?

 

 何度も言おう。運勢とは、ダンベルだ。薬である。

 

 例えば何かのハードアスペクト。それはダンベル。サターンリターン、ミドルエイジクライシス、占星術どころか、あらゆる停滞の時期、それは自分が生まれる前に決めてきた、自分を鍛える為に用意された重石、ないしは薬なのである。

 

 人間、付加がかからなければ、筋力がつかないのとおんなじで、苦難があるからこそ、我々は成長できるのだ。

 

 安易な慰め論を探し求めていたころもあった。このストーンを持てば、モリ塩をすれば、この神に祈れば、こうすれば悪い運命から逃れられる、etc.…。

 

 そのどれもが違っている気がする。逃れようとするのではない、立ち向かうのだ。

 

 必死に自分のタマシイを良いものにしようとエゴを捨てるのだ。

 

 そうすれば、急がば回れでむしろ難を逃れることも可能になるのではないか?

 

 そう、気づいたのだ。

 

 災難も失敗も、みな薬だ、何かを教えてくれる。

 

 今回はとりあえず、この辺で失礼します☆彡

 

 あるがまま、あるがままに☆彡☆彡