生命がつきる意味を考えても

明確な答えは出てこない

知らないからこそ

生きることに集中出来るのかもしれない

運気うなぎ登り❗



今朝、
9年以上一緒に暮らしていた
オカメインコが亡くなった…





9年前に鳥が欲しいと娘にせがまれ
ペットショップへ見に行くと
怪我をして売れ残った
オカメインコの雛がいた






「羽を怪我しているから
飛ぶことは出来ません…」





小さな娘の手のひらに包まれ
気持ちよさそうにしている姿が愛おしく
この出会いも運命だろうと
家に連れて帰った






家族のモノマネが得意で良くしゃべり
一人一人を見極めて反応を変えたり
とても頭の良い鳥だった





飛べないので
部屋に放すと我々の後を
ちょこちょことついて歩いていた






一週間ほど前から声が出なくなり
口をあけて苦しそうに息をするようになった







夜中に急いで病院へ連れて行ったが
鳥の病気は身体が小さい為
薬をやることくらいしか出来ないそうだ






ネットで検索しても
そのまま亡くなることが多いと書かれていたが
酸素を与えることで回復するとあり
小型犬用の酸素カプセルを準備してみた
すると、
呼吸が落ちつき口をあけることがなくなり
声は出なかったが元気に歩くようになった






自分でエサも食べるようになり
安心した矢先に突然亡くなった…







かごの中の亡骸を手にとると
まだ身体は温かかった
「頑張ったな…」
と言葉をかけ身体を何度も撫でた







生命を生み出すエネルギーは有限であり
死によって余剰したエネルギー(魂)が無ければ
新しい生命は生まれないと聞いたことがある






だから、
人間の寿命が伸びれば伸びるほど
犠牲になるものが増えるということだ
オカメインコは
きっと新しい命となるのだろう





禅宗にこんな教えがある、

生より死にうつると心うるは、
これあやまりなり

生きているあいだは「生」だけで、
死とは無関係。
死ねば「死」だけで生とは関係がない。
だから
生から死へ移ると考えるのは間違いである





人間は、
死が生の終わりの
悲惨な出来事だと思うから恐怖を抱くが
生と死はまったく別次元の出来ごとだから
繋げて考えるのはおかしいということだ
(わかったような…わからないような…えーん)






また、
自分の死を事前に察知出来るのは人間だけ
だから余計に生に執着する
他の生物は死を予測することが出来ない





オカメインコは、
自然界で弱い姿を見せると襲われるため
平常に見えるように振る舞うらしいが
それは決して死を意識してるわけではない







今日は東京へ日帰り出張だったので
知り合いのギャラリーに寄った








窓ガラスに絵を描くことが出来たので
オカメインコの絵を描いた
次に生まれる時は
空を飛んで欲しい…
そんな想いをこめて