日本語講師

北京での私の仕事は日本語を教えることだった。
私は、30人程の生徒を受け持ち、与えられたテキストに沿って事業を進めた。
日本にある英会話教室のネイティブティーチャーと言ったところか。


1週間程経った頃、カン先生が私に授業のやり方について相談に来た。

「村井先生。テキストを使った授業以外に、オリジナルの授業も取り入れてみたらどうでしょう?生徒も飽きますから。」

たしかに、テキストの内容は小学生レベルのものだった。

私は、日本から持ってきた小説の一文を使ったり、日本の歌謡曲の歌詞や、ヒアリングにはアニメのDVDも取り入れた。





たちまち私の授業は評判になり、生徒も増えていった。







李校長やカン先生のおかげで、中国の生活にも慣れてきた。
生徒に日本語を教えているうちに、中国語も少しずつ覚えていった。





私は、生徒を教えていて面白い事に気づいた。
生徒には当然能力の個人差があるが、語学の上達の早い生徒には共通点があった。

それは音楽だ。

覚えの早い生徒は、必ず楽器を演奏することが出来た。
私は、やはり語学も音感が大切なんだと実感した。





市場で買い物

生活する上で、必ず乗り越えなければならない事の一つに買い物があった。

私は、ほぼ毎日近くの食料品市場で買い物をしていた。

当時、北京市内から20k程離れたこの町には日本人が2人しか住んでなかった。(李校長の話)
どちらかと言えば、近くに現代自動車の工場があった為、韓国人が多く住んでいた。



まず、卵を買うのに3日かかった…

1日目:中国語テキストのカタカナを読んで話したが通じず。

2日目:カン先生に発音を習い話すが「ティンプドン」(聴き取れない)と言われる。

3日目:また「ティンプドン」と言われるが、手で卵を掴み、おばちゃんの目の前に差し出して初めてゲット!

「ゲイウォウ ジーダン!」(鳥の卵をください)

カン先生には合格点をもらい、生徒からも大丈夫だと言われたのに通じなかった。





次は、豚肉だった…

豚肉は量り売りだ。
私は肉を指差して

「イージン!」(500g)

と伝えた。
おじさんは無言で豚肉を切り量りに乗せる。
確かに500gだが、どうもおかしい。
毎回、半分近くが脂なのだ。

最初は、そんな部位なのかと思っていたが、明らかに中国人には脂の無い肉…いや、脂を切り落とした肉を渡している。
私は、李校長にそのことを相談した

「それは完全に差別ですよ!違う店に行った方がいいですよ。」

私は、それを聞いて腹がたったが、それ以上に、
意地でもその店から脂無しの肉を買ってやろうと燃え上がった。



このオヤジは、わからないふりをしているんだと理解した私は、李校長に書いてもらった中国語のメモを見せた。

"脂は切り落としてください!"

オヤジは一瞬怯んだが、相変わらず脂の多い肉を量りに乗せた。

「いい加減にしろ!」(日本語)

私は怒りをあらわにした。
私の大きな声で私は周囲の視線を一身に浴びた。



肉切り包丁を手にしたオヤジの姿は、香港映画に出てきそうだ。

異邦人だと言うことを改めて認識させられる空気感になったその時、

「你为什么这样做!」


肉屋の隣で野菜を売っいたおばちゃんが割って入ってきた。
何を言っているか理解できなかったが、その言葉は私に向けられたものではないことは理解できた。
彼女は味方だ。


凄いけんまくでオヤジをまくし立てた後、袋に入れた肉をオヤジから奪いとり私にくれた。
そして、アゴで「行け!」と合図をした。
代金を払おうとすると、おばちゃんは首を横に振りながら、手で「早く行け!」と促した。




翌日、私は豚肉の代金を支払う為に市場へ出向いた。
市場の人々の見る目が明らかに変わっている。

タバコをふかした野菜売りのおばちゃんに頭を下げると、軽く手を上げて答えた。


肉屋のオヤジが私に気づいて目をそらした。

「ドォウシャオチェン?」(いくら?)

オヤジは、また私を無視した。

「ドォウシャオチェン!」

私は、大きな声でさらに聞いた。



オヤジは呆れたように顔を上げ

「ブヤオ!ブヤオ!」(要らない、要らない)

と、答えた。




その後は卵も肉も買えるようになり、野菜売りのおばちゃんが、日本製のタバコを満足そうに吸う様子が日常となった。