社会人デビューは、組合組織の職員だった。
いわゆる準公務員というヤツで、安定だけが取り柄のつまらない組織だった。
最初の頃は使命感に燃え、ガムシャラに働いた。しかし、やってもやらなくても給与が変わらないという、完全な年功序列の組織が嫌になり、2年で退職した。

その後、大手リース会社が始めた、個人向けカーリース事業の営業として就職した。
成績を上げれば給与が上がるインセンティブ制の給与体系が私には魅力的だった。

リースとはいえ、個人に車を売ることには変わりなく、多くの契約には下取り車がつきものだった。
当時、下取り車の売買は中古車部長が担当しており、営業は、その部長が査定した価格で買取りをしていた。


ある日、中古車部長と昼食をとっていると、

「村井。先月お前が下取りしたデリカはオークションでけっこう儲かったぞ。」

私は、以前から中古車オークションに興味があった。
どんな風に車が売買されるのか、また、会場の雰囲気はどんなものなのか知りたかったのだ。

「部長。今度オークションに連れて行ってください!」
「どうかなぁ。常務が許可してくれればいいが…
最近お前がんばってるから頼んでやるよ。」

常務からの許可は意外とあっさりもらえた。



初めて行ったオークション会場は、岐阜県羽島市にあった。
会場に並ぶ出品車の台数とバイヤーの数に驚いた。
バイヤーは皆、当時は珍しかった携帯電話を持っていた。
携帯電話と言っても、バッテリーだけで5kくらいある肩掛けのものだ。



私が下取りした車の番が来た。
部長は調整室という部屋で売るタイミングを見計らっている。

セリが始まった。
会場正面にある、電光掲示板の数字が動き出す。
バイヤーがボタンを押すと3千円づつ価格が上がる仕組みだ。
スタート価格から20万ほど上がったところで売り切りランプが点灯した。
部長がこの値段で売りますよ。と、コールしたということだ。
既に価格は、私が下取りした価格に15万上乗せした価格になっている。
それでも電光掲示板の数字は止まらず、さらに16万上乗せされた数字で成約となった。
私は、興奮していた。

「部長…30万儲かったということですか?」
「経費引いても27万くらいは残るかな。」

その日は、7台出品して5台が成約した。
利益は100万を超えているだろう。



その後も、時間があればオークション会場へ連れて行ってもらった。

そうして一年程経った頃、私は事業計画書を持って信用金庫の窓口にいた。
勤務先に来ていた担当者に相談したところ、私の営業成績なら借りれるだろうということだった。

結果、500万の申し込みをし、400万の融資を受けることが出来た。



25歳。
私は小さな中古車屋の社長となった。