ブラック企業診断士の資格をやっと取ることが出来た。

 そこで私は、君ら社畜どもに提言した。

 イスラム教の聖典であるコーランは、鬱や憂鬱症状に効果があることを。

 騙されたと思って一度、コーランを読んでみるがいい。

 勿論日本語に翻訳されたもので構わない。

 ブラック企業診断士の私が言うのだから、間違いない。

 

 

 

 ただ懐古趣味を欲するのであれば、旧約聖書を勧める。

 あれはユダヤ教をはじめとする、アブラハム教の聖典であるが、

 三つの聖典のなかでも、取り分け懐古趣味的要素の強い書物だ。

 だからブラック企業で働き、心身共に病んでいる君らには、

 痛く響く物語りとなるであろう。

 共感はするが、鬱や憂鬱対策としてはお勧めできないのだ。

 それどころか、君らを遠い過去へと誘いながらも、それは連綿と変わらず現代の今時点まで続いている人間に宿命付けられた業であり、ソドムとゴモラが焼失したように、或いは振り返った者を塩の柱に変えたように、君らを唯々、退行へと向かわせるものだからだ。或いは弟を殺めた兄のように、深い悔恨へと陥れることだってあり得るのだ。

 

 

 

 新約聖書は自己犠牲と救いによる聖典として広く知られている。

 ユダヤ教の聖典である旧約聖書と、信じれれない話しだが、未だに新興宗教の分類に入ると言われ、またその新興宗教の中で最も古いキリスト教の聖典である新約聖書とが彼らの聖典だ。

 さて突然だが、君らに質問だ。

 愛はあるか?君らには人を愛することができるか?

 もし答えがイエスなら、君は新約を読むべきだ。別に宗教に入れとか言っているのではない。聖書を読めと云うておる。ただそれだけだ。そしてブラック企業やブラックな職場とはおさらばするのだ。

 バカな上司に対しても憐みの情や好意を抱くといった、間違った方向へ向かはないとも限らないからだ。そうなったら完全なる社畜、ブラック企業の好いカモである。

 さっさと辞めろ。

 

 

 

 さて、次はアブラハムの宗教ではないが、我々と縁の深い仏教とブラック企業についての関連性についてだ。

 はっきり言ってこれはまずい。ブラック企業と相性がばっちりだからだ。

 何故と言うに、大人しく耐えろだの、木を見て森を見ず、森を見て山を見ずなどと言う。

 それはパワハラ上司が言う科白ではないか。ブラック上司に好い様に解釈され、激詰めのエサとして使われる文句としては持って来いの科白だ。仏教の思想が作り出した諸々の言葉は、どんな解釈も可能という多様性を秘めている性質から、好い様に解釈され、ブラックな定義として悪用される危険性が最も高い言葉といえよう。それは我々の生活と密接に関わっている宗教であることからも、洗脳という観点から容易く操作しやすい利便性を否定出来ないところにもある。 

 

 

 

 

 ブラック企業診断士である私は、繰り返すが、君ら社畜に、上記に挙げた宗教に入れと言っているのではない。勘違いしないで欲しいぞ。私が言っているのは、ブラック企業診断士として、今回は、有名な宗教の聖典との関連性から、君らに忠告と助言を与えているだけに過ぎない。勧誘をしているのではない。しかしこの助言は、何もブラック企業相手のものだけに留まらない。ブラック企業などという代物は、社会のゴミのようなもので、近い将来、淘汰されるべきなのが本来の世界の在りようであるのだから。だから君らには、なるべく早い内に辞めることを強くお勧めする。私がブラック企業診断士であるという立場から、今回は例として世界的に有名な聖典を引き合いに言わせて貰ったが、聖典を持ち出すまでもなく、そんなカスみたいな会社はさっさとおさらばするに限る。それが私の率直な答えだ。

 ただ、君らブラック企業に居続ける者たちはまじめな奴が多い。そしていつしかブラックな環境が当たり前に思えて来て、何年も勤続してしまうという悲劇を作ってしまうのもまた事実なのだ。或いは、これが大多数だと思うが、其々止むを得ない事情があってブラックな職場に辞められずにいるのかも知れない。だからそんな君たちの為に、君ら社畜は勿論、一般的な鬱対策としても極めて高い効果が期待できるであろうひとつの聖典を、ブラック企業診断士として、他の肩を並べる聖典と比較しながら、君たち社畜共に勧めたというわけだ。

 例えば、これがコーランではなく、新約聖書なら、君らは社畜として、骨の髄までブラック企業にしゃぶり尽くされることであろう。そしてこれが旧約聖書なら、君らは回顧と退行によってブラックな環境において悩みながら後ろ向きで歩んでいくことだろう。余りにも後ろ向き過ぎてホームの白線を超えてしまう危険性もあれば、弟でなくても、ナイフで誰かを刺す事にも成り兼ねない危険性を帯びているのだ。仏教の教えであれば、君ら社畜は特定の少数の輩どもの私欲の為にしかならない、行き止まりのブラッキーな職場環境のなかで、涅槃とは逆に、悶々とした煩悩に苦しみながら、現行のブラック労働に対して、ある程度の不満は持ちつつも、ほぼ当然のように同化されながらも、一生社畜として全うすること請け合いだからだ。それでよければの話しだが。

 

 

 

 短いが、これで今回は、私の話しは終わりとする。

 

 

 尚、日本語訳コーランは岩波文庫で3巻で発行されている。新旧約聖書のように分厚いものではないし、比較的読みやすい書物となっている。

 

 

 

 

 補足

 

 何故コーランが鬱や憂鬱に対して効果的な読み物であるかについては、実際にお読みになって頂いたらわかると思う。今はそれだけを言うに留めておく。そして、これはブラック企業診断士である私がはじめに発見した治療法でもある。何れにしろ、いろいろな書物が読めるというのは、最大の贅沢でもある。諸君にそれぞれ、もう既に鬱や憂鬱から縁遠くさせてくれる特殊な書物があったのなら、それはそれでまた幸いである。

 

 君たちの健闘を祈る。

 

 

 

 

 

 

 

 

          

 

 

      

 

          2022年9月18日

        北センチネル島にて