[Las melodías inmortales compuestas por Mario P. Gutierréz]
0_Introducción.
Como anuncié en el post inmediatamente anterior, durante algún tiempo realizaré una serie de posts en recuerdo de la obra y los logros de Mario Gutiérrez, de quien este 4 de octubre se cumplen 30 años de su muerte.
El objetivo es brindar al mayor número posible de personas la oportunidad de recordar o reencontrarse con las obras y los intérpretes que creó.
早いもので9月になった。
私が最も愛する演奏家・作曲家で革命的グループ「ルパイ(Ruphay/Los Rupay/Quinteto Rhupay/...)」の創設者だった、故・マリオ・グティエレスMario Porfidio Gutiérrez(本記事カバー写真右下の本の表紙で、サンポーニャを吹いている人物/1945年3月26日ボリビア・ラパス生、1994年10月4日ベルギー・アントワープにて逝去)の没後30周年まで、あと1か月である。
「マリオ・グティエレス」といきなり口にして、分かってくれるアンデス音楽愛好家は、私の周りでは少ない。知っている人でも「ああ、ルパイね。ハチャ・ウルの作者ね」程度の認識だろう。ち
なみに、"Jach'a Uru(大いなる日)"のご本家Los Ruphayの演奏はこちらになる
(初出の1976年フランス盤ではなくて、あえて1977年ボリビアLyra盤で貼っておく)。
じっさいマリオが遺した曲で、今でも現代の演奏家によって時折実演されるのは、圧倒的にこのJach'a Uru(大いなる日)で、他に強いて挙げるとすれば、Sicoyas(神への捧げ物), Shilli Condor(王者コンドル), Achachilas(祖先たち), Paisaje de Nieve(雪景色)くらいではなかろうか。
それらさえも、現代ボリビアのアンデス音楽の演奏家たちは、もはや殆ど演奏することがなくなったと思われる。
マリオグティエレス(写真左)とルーチョ・カブール(右)1972年、ラパスにて。
(Maria Antonieta Arauco M. "El Jach'a Uru"より)
時の流れはやむを得ないにしても、彼が生み出した名曲数々が、人々から忘れ去られてしまうのは、私にとっては忍び難い。
私は彼と一度も面識のない、一人の日本人リスナーに過ぎない。しかし、約40年前から彼の曲に強く魅せられ続けている者として、マリオ・グティエレス没後30周年を間近に控え、いまできる限りのことをしたいと思う。彼の遺した名盤・名曲が少しでも多くの人に知られるように、と願って。
ひとまず、私のブログとFacebook・Instagramへの投稿は、本投稿以降、10月上旬くらいまで、Mario GutiérrezとRuphayの話題を中心に行いたい。
[Las melodías inmortales compuestas por Mario P. Gutierréz_0]
[シリーズ投稿] マリオ・グティエレスの不滅のメロディたち
0_はじめに
上記の通り、これからしばらくの間、この10月4日に没後30周年を迎えるマリオ・グティエレスの作品と業績を偲ぶために、私は上に掲げたタイトルの下で、一連の投稿を行う予定である。
目的は、少しでも多くの人に、彼が創造した曲や演奏を思い出してもらったり、新たに出会ってもらうきっかけを作ること。
その手段として、彼が作曲した曲を中心に、主に彼が生前に参加した「ルパイ」のアルバム(1968年~1986年発売)を原則として年代順に紹介する。音源がインターネット上で試聴可能であれば、できるかぎりリンクを張るので、私の投稿で興味を持たれた方は、私の駄文に付き合うよりも、ぜひ演奏と楽曲をご自身の耳で愉しんでお聴き頂きたい。
なお、私は生前のマリオ・グティエレスと一面識も無い、単なるリスナーであり、私しか知らない直接的な一次情報など何も持っていない。私にできることは、せいぜい、情報を整理することと、私が感動した曲や演奏の素晴らしさを、私なりに語ることだけである。
それが契機となって、生前のMarioと交流があった方や、Ruphayの生の演奏に触れた方などから、少しでも新たな情報が集まることがあれば、望外の喜びである。皆様から私の投稿へのコメント(日本語でも、英語でも、スペイン語でも)をお待ちする。できる限りレスをさせて頂く所存である。
また、今回一連の投稿を書くに際して、資料源泉は、私の能力的・時間的制約にも鑑み、原則として、(1)音盤、(2)基礎文献(María Antonieta Arauco M. "El Jach'a Uru",2018)、(3)現Ruphayの公式サイト(Musique des Andes musica de los Andes (ruphay.net))及びDiscogsとWikipedia――に絞った。よって、これらの参照先に無い情報は、基本的に検討の範囲外としている。
さらに、私のスペイン語力は非常に低く(初歩レベル/2年前にDELEのA2に合格したが既に殆ど忘れてしまった)、ボリビア滞在経験も無い。そのため、翻訳ソフトの助けを借りてもなお、歌詞や文献、あるいは楽曲の歴史・文化的背景の理解に、大きな制約があること、加えて、楽典の素養にも欠けるため、音楽学的な分析や説明が行えないことを、予めここに告白しておく。
私にあるのは、ただ約40年間にわたって飽きもせずに、Ruphayのアルバムを聴き続け、Marioの楽曲に心震わせ続けている、という訳の分からない持続的な情熱だけである。
以上、前置きが長くなって恐縮である。次回から中身へ入る。■