どうも。

金髪大好き田野です。

 

 

中学校の卒業式は前髪だけ金髪で

それ以降もたまに金髪にしますが

 

 

さすがに40代になると

カッコ悪いかもなぁ・・・

と思って控えている田野です。

 

 

ってか、校則ってあるでしょ?

中学校とかの校則で
化粧はダメ、髪を染めるのもダメ。

みたいなやつ。

 

 

あれって意味ある?
と、思ったことないですか??



アメリカや海外はそんな事ないのに…
って思ったことあるでしょ??



あれは日本だから
あの校則が必要なんだと思います。



日本はアメリカみたいな

多民族国家ではないですからね。



黒人もいれば白人もいて
金髪もいれば赤毛、黒髪もいて

 


言葉もあらゆる国の言語が飛び交い

文化も違えば、仏教、キリスト教、イスラムなど

宗教も違う人たちの集まりが多民族国家。

 

 

そもそも人種自体が個性であり

文化が個性であり、「違う」ことが当たり前な場所に
同一制の校則はいらないんですね。

 

 

そもそも同じにする必要もなければ

同じにできないので。



でも、日本に校則が必要なのは

黒髪で文化も同じ、肌の色も同じ

単一民族国家だからであって

 

 

生物学的な理由からだと思います。

 


例えば、日本人の中学生の女子が
金髪にしてピアス開けたとしましょう。



その金髪とピアスに合う服を買うでしょ。
その服に合う化粧するでしょ。
その服似合う靴を買って
その格好に合う場所にいくよね。

 

 

見た目に合わせて

行動や心が変わるわけです。

 

 

それが良いか悪いか?の話はしていません。

「見た目に合わせて変わる」っていう点が重要です。

 

 

多民族国家なら、見た目の違う人種はたくさんいる上に

文化も全く違うので、イスラム教徒の方のような全身を

隠している方々もいます。

 

 

顔中にタトゥーが文化の国もあれば

生物学的に髪がアフロの方々もいらっしゃいます。

 

 

なので、見た目が全員違うので

それによる内面(心や行動)の変化は何も変わらない。

 

 

髪や服装、その他に対する見た目にルールを課す校則は

全くの無意味なわけです。

 

 

単一民族しかいない場合

後天的に身につけるものが他者と区別をつけるので

その区別によって内面が変化するわけです。

 

 

・・・・意味わからないですよね。

 

 

要するに、多民族であれば

みためも内面(文化)もそもそも違う。

 

 

単一民族は、見た目も内面(文化)同じなので

後天的に身につける物が、他者との違いになり

その違いが良くも悪くも内面(心や行動)を変化させる。

 

 

なので、良くも悪くも「校則が必要」

ってことだと思います。

 

 

逆に、多民族国家であれば

多民族国家なりの「校則」を作らないといけないと思いますよ。

 

 

斧を持ってこない。とか。

文化を他者に強要しない。とか。

 

 

そんな校則が

あるかどうかは知らないですが

言いたいのは。

 

 

どこにでもルールがあって

そのルールには必ず理由があって

その小さなルールの積み重ねが

大きな秩序を生んでいる。

 

 

っていうことは間違いなくあるけども

「理由がないならルールを守らない」

 

 

っていう、自分では何も考えず、その理由の説明を他者に求め

それが答えられないなら、個性を尊重しろ。

 

 

っていうのはなかなか乱暴な話だ。

っていう話でした。

 

 

ただ、一方で。

 

 

他人が決めたルールの中で生きるのが嫌なら

自分でルールを決められる社会を「自分で」作るか、

自分にあったルールの場所に「自分で」移動するか?

だと思います。

 

 

次回、フレミングの法則とか

人生のいつ使うんだよ??

 

 

っていうのにも

意味があるんじゃね・・・・??

 

 

でお送りします。

 

 

 

 

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数ヶ月後先の新商品できました。

 

 

沖縄暑くなってきて

いよいよ夏感あります。

 

 

遊びにおいでよ、沖縄へ。