わたし、20歳まで福岡にいました。

 

 

その当時、まだ沖縄出身は

どこか恥ずかしい。

 

 

みたいな空気でした。

沖縄県民がそう思っていた。

 

 

どうせ沖縄だから。

っていう感じ。

今もまだ少し残ってる。

 

 

それより少し前は

県外の飲食店に、沖縄県民は差別で入れませんでした。

 

 

「沖縄県民お断り」

っていう張り紙されてた。

 


沖縄県内では、米軍に虐げられていました。

婦女暴行をしても、人を轢いても

米軍は、法律に守られ捕まりませんでした。

 

 

まぁいわゆる植民地です。
多くの県民は自分達を卑下していました。



そこに現れたのが「具志堅用高」さんです。

 

 

 

 

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具志堅用高さんが

沖縄で初めてのボクシング世界チャンピオンになった。

 

 

この時の沖縄の熱狂は凄まじく

沖縄県民の心に火をつけたそうです。

 

 

そして、そのあと、高校野球に沖縄も参加できるようになりますが

1回戦で毎年負ける。ってことが何年も続きました。

 

 

それを変えたのが沖縄水産のサイ監督で

沖縄尚学なども、準決勝、決勝まで進み

 

 

沖縄県民はそれを見て涙を流し

決勝戦の日はガチで車が沖縄に走っていませんでした。

 

 

道路に寝そべる人もいたぐらい

1台も走ってなかったです。

 

 

俺たちだってやれるんだ。と

沖縄県民が自信を持ち始めた時に

一気に押し切ったのが・・・・

 

 

 

 

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安室奈美恵さんです。

 

 

安室奈美恵さんが
沖縄の若者のアイデンティティを確立させたと思います。



私が福岡にいた頃は

標準語分からないんじゃね??

 

 

って、福岡と佐賀と熊本の3人に

博多の公園で囲まれて言われたのをハッキリと覚えています。

イントネーションがおかしいかったみたいです。

 


とっても沖縄が恥ずかしかったです。



それを変えたエンタメの力って
本当に凄い。

 

 

 

 

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立派な一国だった琉球王国は
薩摩に侵攻され、強制的に日本国にされ

母国語だった琉球語を使うと捕まる事にもなりました。



他国が日本を攻めて

日本語使ったら捕まえる。

明日からうちの言語を使え。



って言われてたと思ってください。



意味が分からない言葉を喋られると

クーデターのような事が起こるかもしれない。

と思ったようです。

 


それから世界大戦ではアメリカの盾となり
日本唯一の凄まじい陸上戦。



1945年(昭和20)3月26日に

那覇市の西にある慶良間諸島に

アメリカ軍が上陸して始まりました。



洞窟などの防空壕で

自決された方々もとても数多くいらっしゃいます。



沖縄県民は何もしていないのに

なぜこんな事になったのか。



そして戦争は負け

そのまま27年間もアメリカに占領されます。

返還されたのはつい最近の51年前です。



返還されても理不尽な扱いは

そのあとも長く続きました。

 

 

 

 

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でも先人達は沖縄のアイデンティティを
ずっと証明してきた。



沖縄をさらに発展させ

琉球国として世界に知らしめ

誇りを持つには

 

 

結果を出すしかない。
誰もが認める結果で
琉球の誇りを証明するしかない。

 

 

エンタメでも政治でも
経済でも結果で証明しないといけないな。

って思います。



経済では、沖縄の発展の為に、県外企業と協調すべきだ。
という意見もあるけど
したいひとはすればいい。



私は琉球人として
沖縄だけでやる事に意味があると思っています。



もちろん、協調もするし
尊敬もしてるし、尊重もする。



けど、最後の最後の一手は
必ず沖縄県民の手で。



これだけは譲れないような気がします。

 

 

恨み節ではなく

忘れてはいけない。

って思います。

 


要するに沖縄最高。

ってことです。

 

 

沖縄県民で何か出来ないかな。

って考えています。

 

 

っていう話でした。



我らは琉球王国の

琉球人。