色んなお店を作って来ました。

色んな事業も作って来ました。

 

 

いきなりですが

わたし史上、居酒屋の中で最高傑作だと思ってる店舗があります。

 

 

後にも先にも

最高傑作だと思います。

 

 

こちら。

 

 

 

image

 

 

 

 

動く町 泡瀬「前夜祭」店。

 

 

調べたら1997年オープンだったので

今から22年前。

 

 

当初の店名は「爆風」でした。

爆発的な風を沖縄市に起こしてやるわ!!

つって。

 

 

でもこの年、アメリカ同時多発テロがあった直後で

そんな中、さすがに「爆風」はまずいだろ。

ってことで動く町にしました。

 

 

由来は「毎日動きのある町」という由来で

当初は毎週グランドメニューを変えてました。

 

 

いま考えると無謀でしょ。

毎週グランドメニュー入れ替えるだよ??

無謀すぎるでしょ。

 

 

店内で雪も降らせました。

ガチの雪です。

 

 

でも人工的な雪って

二酸化炭素出すので

室内で床で寝てる人がいると死ぬぞ。

つって。

 

 

二酸化炭素って

空気より重いので下に貯まるんだ〜。

へぇ〜。

 

 

って化学の勉強になったのを覚えています。

 

 

炎のポールを立てて

ガチのリンボーダンスをしたこともありまし

 

 

生の秋刀魚を1階に置いて

2階の吹き抜けから100名で釣りしたこともあります。

 

 

何が言いたいかというと

20〜30代は尖りまくってて

 

 

でも、その尖りを支えてくれる設備と

大きさと店の造りと、空気感を出してくれる空間だった。

っていう事です。

 

 

個室を個室と感じさせないように

吹き抜けにし、吹き抜け部分は解放させたり

 

 

テーブルの大きさや

席の大きさをゆったりさせながら

密着させるようにソファーを斜めにしたり

 

 

音が響くようにスピーカーの位置を

19個設置したり

 

 

作った人しか分からないと思いますが

もっともっとたくさんの計算して作りました。

 

 

あのお店じゃないと

若い頃の尖った企画やイベント

表現を支える事が出来なかったです。

 

 

 

 

image

 

 

 

 

ここはデザイナーも設計も一切いれてなく

私と当時の役員と内装を考え

 

 

床に墨を打って

全部手作りで作りました。

 

 

デザインも設計も

二人の頭の中にしかないわけです。

 

 

でも、このお店が出来た時に

ファサードの前で酒盛りしました。

 

 

「このお店が入らなかったら

おれ、飲食業辞めるわ」

 

 

って本気で言ったのは

今でも覚えていますし

今でもそう思います。

 

 

コロナが蔓延し始めた時

2020年初めに撤退を決めました。

 

 

当時は社内もかなり疲弊していて

新しい方向性を模索している時でした。

 

 

そんな時にコロナが来たので

このまま続くとやばい。

 

 

という事で

一旦、思いっきり引きました。

 

 

この店舗を壊す時が

一番寂しい感じがしました。

 

 

でもその日、元スタッフや

家族、仲間たちがたくさんきて

店内中に落書きして最終の日を迎えました。

 

 

こんな店舗はなかったと思います。

みんなの想いが詰まったお店。

 

 

このお店が

後にも先にも最高傑作です。

 

 

今日はやけにセンチメンタルだな、おい。