宮城・涌谷町、町ぐるみで健康づくり 医療費減や震災でも力発揮 | ブログを使い1日30分でできるエクササイズ研究日記

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宮城・涌谷町、町ぐるみで健康づくり 医療費減や震災でも力発揮
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国保病院、老人保健施設のある医療福祉センターに、町役場の保健師をはじめ、国保や介護保険の担当者も常駐する(写真:産経新聞)
 【ゆうゆうLife】

 宮城県にある人口約1万8千人の町、涌谷(わくや)町は昭和60年代から町ぐるみで健康づくりにあたってきた。脳梗塞や心筋梗塞のリスクが高まる、東北特有の「しょっぱい味付け」を健康教室で退け、今や医療費は全国や県平均と比べても低い。こうした町ぐるみの取り組みは、東日本大震災でも力を発揮したという。(佐藤好美)

 首都圏から涌谷町に嫁いで25年になる主婦、佐々木富貴代さんは町の「健康推進員」。町にはほぼ18世帯に1人、計316人の「健康推進員」がいる。草の根活動で地域の健康を守るのが役割だ。

 がん検診や特定健診の時期には、「検診を受けましょう」と声を掛けながら各家庭の希望を募る。受診票配布でも、再び各戸を回る。郵送すれば簡単だが、佐々木さんは「そんなことしたら受診率が下がります。必要性を地域の人に分かってほしい。私たちが、がんばって受診率を上げないと…」と言う。

 健康教室の開催も大事な役割だ。医者を講師に招いて「減塩教室」や「認知症の予防教室」を開く。「軽い運動を交えたり、おにぎりを持ち寄って減塩みそ汁を飲んだり、楽しみながらやっています」と話す。

 予防、健康づくりに取り組んできた涌谷町の国民健康保険加入者の1人当たりの医療費は平成21年度に25万437円(一般・全国平均27万6353円)。宮城県で低い方から3位に入った。国保料(税)もその分、安い。

 こうした健康づくりは一般には行政の仕事。医療機関とは乖離(かいり)しがちだが、涌谷町では医療職がボランティアを本当に大切にする。涌谷町国民健康保険病院(121床)を抱える「町民医療福祉センター」の青沼孝徳センター長は「健康推進員は地域の健康作りの担い手。医療は病気を治すだけではだめ。医療と行政と地域住民が一緒になって健康づくりをし、保健・医療・福祉・介護を一体的に提供することが重要」という。

 こうした取り組みは、東日本大震災でも存分に力を発揮した。石巻市に隣接する涌谷町は、ほぼ1週間にわたり停電、断水。17カ所の避難所で約500人が生活した。震災直後は健康推進員や行政区長、民生委員らが在宅高齢者の安否を確認。地域の人が米や野菜を避難所に持ち寄り、井戸水を運び、湯を沸かしてペットボトルの湯たんぽを作った。

 病院スタッフらはインスリンやステロイドなど、中断が危険な薬をリストアップして調剤。保健師が避難所のかかりつけ患者に配布して回った。

 青沼センター長は「日頃の健康づくりで、地域に『集まる文化』があり、住民の絆やコミュニケーションがあったことが生きた。地域の力は究極のセーフティーネットだと思った」という。

 長期化した避難所では、健康推進員が4月上旬まで炊き出しを担った。健康推進員は日赤奉仕団や食生活改善推進員も兼ねる。支援物資の焼き鳥缶で肉うどんを作り、タケノコ缶でタケノコご飯を炊いた。佐々木さんは「地元の生産者が小ネギやホウレンソウを差し入れてくれたので、青物野菜をふんだんに使えた。高齢者が多かったのでリハビリ体操もしました。被災者の方が被災前と変わらぬ体重で避難所を出たことが、私たちの自慢です」と話している。

                  ◇

 ■医師の赴任動機は夢とやりがい

 東日本大震災の被害が大きかった東北地方には、医療過疎の町が多い。人口密度が低いため、病院規模が小さく赤字化しやすい。医師確保も困難だが、医師や看護師が基準数に達しなければ、診療報酬が減額になる。

 青沼センター長は「東北地方はもともと医療資源が少ない地域。災害で医師や医療機関の不足が顕在化したが、復旧だけでなく、課題に向かった国づくり、町づくりが必要だ」という。

 涌谷町国民健康保険病院の医師は現在13人。今は基準を満たすが、青沼センター長は「医師確保は困難で、薄氷を踏む思いです」。

 同院の平田宗医師(37)は今年3月、福岡県から涌谷町民病院へ赴任した。その理由を「医師になって10年の区切りを機に、地域医療を学びたいと思った。健康教室で高齢者と話し、一緒に減塩食を食べています。ここには普段から住民と付き合う医療がある」と言う。

 医師不足の自治体の中には、多額の年俸で医師を招く地域もある。しかし、平田医師は「赴任にあたっては、年俸よりも重きを置く要素がある。地域医療には、そんな魅力があると思う」という。

 青沼センター長自身、昭和62年に35歳で涌谷町に来た。ちょうど母校の自治医大へ研究に戻る道もあり、留学の誘いもあった。しかし、当時の涌谷町長がこう誘ったという。「政治の使命は町民の生命と財産を守ること。あえて、どちらを選ぶかと言われれば、命だ。健康さえあれば財産は取り戻せる。涌谷に病院を作るので来てほしい」。さらに「病人を治すだけではだめだ。病気にならない方法を考える病院になってほしい」とも。

 今でこそ予防医療が注目されるが、当時としては画期的な誘いだった。青沼センター長は「研究をする医者は多いが、地域医療をやる医者は少ない。自治医大に課せられた使命でもあると思った」と赴任を決めた。今、こう言う。

 「東北人は我慢強いといわれるが、いつまで我慢するのか。今は希望や夢を語るリーダーがいない。リーダーが、嘘でもいいから夢を語ることが大切で、夢に向かって誠実に対応すれば、人は認める。夢を語るところには人も集まるのではないか」


「この記事の著作権は産経新聞に帰属します。」


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