皆さま、こんにちは。

平成26年度の予算案が衆議院を通過したのが2月28日。それからというもの、審議の中心は参議院に移っているため、衆議院の方は比較的穏やかな日々が続いています。

多くの衆議院議員がこの期間遊んでいるかというと、(人によってはそういう人もいるかもしれませんが)、そうではなく、多くの議員は、この期間を利用して、各所に視察に出かけたり、新しい法律案についての勉強に励んだり、という生活を送っているわけです。

自分もその例に外れず、甲府や気仙沼の視察に出かけたり、各種シンポジウムに参加したり、海外からの訪問団とのミーティングを繰り返したりしています。

さて、その一環として、昨日、死刑廃止を考える日弁連主催のシンポジウムに参加致しました。



日弁連主催のシンポジウムでは、国会議員が参加すると必ず数分挨拶をする時間を頂くことができます。

昨日も、ご挨拶の時間を頂いたので、

・ 自分の価値観として、将来的には死刑廃止を実現するべきと考えている
・ 他方で、現時点では死刑存置の世論も強く、またその気持ちも理解できるため、そう簡単には話を進められない

と指摘した上で、

・ 日本の裁判員裁判で、最近裁判員が死刑と判断した事件を高裁で破棄し、無期へと変更する事例が相次いでいる
・ プロに任せれば死刑と判断しない事案について死刑判断を下してしまったという心理的呵責や裁判員への負担の重さを考えると、裁判員裁判における死刑判断の在り方は、やはり慎重に考えるべきではないか
・ 裁判員裁判制度を採用している日本だからこその問題点をまずはしっかりと明らかにしていきたい

という趣旨の挨拶をさせて頂きました。

死刑制度をどう考えるかというのは、将来にわたってしっかりと議論をしていくべきテーマですので、自分も引き続きこの制度のプラスマイナスを冷静に見極めながら取り組んでいきたいと考えています。


ただ、実はもう一つ、現場で言えなかったことで、本当はとても言いたかったことがあります。

ご存じの方は少ないかもしれません。

実は、日弁連は「死刑制度の廃止」は主張していません。ご存知でしたか?
あくまで「死刑について考えよう」、というスタンスなのです。

確かに、死刑制度については賛成の人も、反対の人もいる。センシティブな問題なのだから、それについて一方的な主張をすることはできないというのも分かります。分かるんです。

でも、そういうことなら、自分の身を振り返ってみてほしいと思うのです。
例えば記憶に新しいところですが、昨年の「特定秘密保護法案」に対して日弁連は明確に反対の意見表明をしました。

それだけではありません。
昨年3月の段階で、「集団的自衛権行使の容認及び国家安全保障基本法案の国会提出に反対する意見書」を出して、NSCに反対したり、集団的自衛権行使に反対したりしているわけです。

これは一体どういうわけなのでしょうか。

特定秘密保護法や日本版NSC、集団的自衛権については、「死刑廃止」ほどのセンシティビティがないという判断なのでしょうか。

日弁連は弁護士の集団ですから、当然政治には慣れていません。
ましてや、弁護士なら全員加入しなければならない「強制加入団体」なのですから、様々な意見を有している弁護士が所属しています。
集団的自衛権だって、特定秘密保護法だって、それが憲法や人権をないがしろにしているとして反対する人もいれば、憲法や人権の価値を十分に理解した上で、そういうものに配慮しながら賛成する人もいるわけです。

こういう様々な価値観がぶつかり、そして国会で政党がまさに正当性を主張しあっているような政治問題に首を突っ込みすぎるべきではないのではないでしょうか。

むしろ、そんな政治問題に首を突っ込む余裕があるのであれば、「死刑廃止」といった法律家ならではの問題について、またEUをはじめ死刑の停止または廃止をする国が多くでている状況下において、まさに「世界で後れを取っている」この問題に関して日弁連内で議論を重ねた上で、明確に日弁連としての意見を表明した上で、何とか世論をリードして死刑廃止に持っていくぐらいの心意気を見せて頂きたい。

昨日のEUの公使のスピーチにありましたが、死刑廃止に至った国でも、死刑廃止論が強まったから死刑を廃止できたのではありません。

法律家が率先して、死刑廃止への道筋を作ったのです。

その意味で、日弁連の今後の活動には大いに期待しています。

挨拶の場でする話ではありませんので、挨拶の中でこういう話をしなくて良かったなと、改めて思うところではありますが、一定の問題提起ができればと思って、敢えてここに記した次第です。

皆さまからのご意見を含め、引き続き頂ければ幸いです。
しっかりと国政の場に生かして参ります。



衆議院議員/弁護士 三谷英弘