「成り生(な)りてなる」
半分は自分でつくっているのだけど、
残り半分は何かによってつくらされている
という感覚の意味とのこと。
書道は畳の上で正座をし
きちんと構築されたお手本どおりの
字を書くことを目指すけれど、
計算しつくされた形より、
つくり手の意思からはみ出した
何かが加わってできたもののほうに、
人はシンパシーを感じることがあります。
それは、書いているプロセスや
姿そのものが作品であるパフォーマンス書道にも
言えることで、美術でも工芸でも日本は
「成り生(な)りて」を好むのではないでしょうか。
私が「成り生(な)りてなる」を思うとき
半分は自分の意思で生きているとけれど、
なにか大きな存在によって生かされていると思うのです。
厳しかった時代が日本にありながら
祖先はどうやって生き抜いたんだろう。
失敗も犠牲もさんざんあったのだろうけれど、
「この世」を、人びとはつくってきたんですね。
祈りながら動きながら。