おひさしぶりです。
2年半も空いてしまいました。

 

 


このブログは過去の自分に向けて書いていたつもりでした。

 

 

笑ってしまうけど、
たぶん、
書いたわたしがいちばんたくさん読んだし、

いちばんたくさん泣いたと思います。

 

 


なかなかいいこと書いてあるよね。

 

とおりすがった誰かのこころも、

ほんのすこしだけほどくことができていたら、

とってもしあわせなことだと思います。
 

 


癒すも何もなかったんだなと、
だんだん書くこともなくなってしまったのですが、

 


この30記事しかない
過疎っているブログにも
いまでもアクセスしてくださるかたがいて、
お悩み相談や質問をいただくことがあります。

 

 


ブログも更新していないので
ずっとスルーしてきてしまったんですが
ちょっとお答えしてみようかなという気分になったので、
ときどき書いてみることにします(たぶん…ニコニコ)。

 

 

 

フォローしてね

フォローしてくれると通知が行くよアップ

 

 

 

エゴについての根本的な問いかけ

 

今日は「エゴ」について。

なぜか
このエゴについての質問を多くいただきます。

 

 

 

「エゴがなくなりません」
「エゴをなくすにはどうしたらいいですか」
「無我の境地にアクセスするには」

などなど。

 

 

 

わたしはエゴと手を切っていません。

毎日ふつうに、エゴといっしょに生きています。
 

 


この「エゴ」や「我」。

スピ業界入りすると、
(業界はできるだけ早めに脱出しよう)
ほとんど全員がつかまる観念なんじゃないでしょうか。

 

 

 

 

まず、
これがいちばんの勘違いなのですが、

 


「エゴをなくそう」とすること、
これがまさにエゴそのものだ
ということです。

 

 

 

認識できるものはすべてエゴ

 

認識できるものは、すべてエゴです。

 

(なので
 「別の領域」「大我」もエゴです。
 混乱はなく、自由で明晰で静かですが、

 認識できるもの=すべてエゴ)
 

 


エゴに実体はありません。

 

 


エゴはシステムです。
ソフトやプログラムのようなもの。

 

 

 

世界を分けて、
「個」を錯覚させ

(「個」はありません。脳の作話です)、

世界を認識するためのシステムです。

 

 

 

「個」を錯覚させる(作話する)働き=エゴ、です。
 

 

 

「ひとつ」でしかないものに
名前をつけ、仕分けし、認識することで、
分離(「個」)を錯覚させ、

世界が存在し、
そのなかに自分や他者が存在し、
出来事が「起こっている」と錯覚させる働きがエゴです。




「これはエゴだ」と切り離そうとしたり、

遠ざけようとしたり、

消そうとしたりする動きは、
まさにエゴそのもの動きなんです。

 

 


エゴがなければ、世界はひとまとまりの液体です。
(実際はエゴもないので、境目のないたぷんとした液体が世界)
 

 


友だちと待ち合わせできるのも、

左右で同じ色の靴下を履けるのも、エゴのおかげです。

 



エゴがなくなると、
靴下と自分の境目がわからなくなります
(実際は境目はないので)

(一瞥体験のように
 瞬間的にエゴの隙間に落ちたときに
 恐怖を感じるひとがいるのはこのためです。
 思考のもやのぐるぐるで真っ暗だった世界が
 上下左右真っ白に変わるため)
 

 

 

エゴと戦うと迷路にはまる

 

エゴをなくそうとしたり、

無我や無私の世界を目指したりしようとすると、

必ず迷路にはまります。

 

 

 

エゴと戦ったら必ず負けるんです。
 

 

 

蛇が一生懸命、

自分のしっぽをくわえて食べようとしているようなものだから。

 

 

 

絶対に成功しないし、苦しいし、ループすると思います。

 

 

 

挑戦することそのものに喜びを感じる人をのぞいて、

そんな不毛なチャレンジはしなくていいんです。
 

 


エゴを消そうとすると、
消そうと遠ざける行為自体がエゴそのものの動きなので、
むしろ、エゴは強まります。
 

 


むしろスピリチュアルな人たちにこそ

エゴが強い人たちが多いのは
このためなんじゃないかなと思います。

 

(透明で清潔になっていくようでいて、

 スピリチュアルなエゴがそそりたってしまうので)



「スピリチュアル」な人に
危機感を持った発言が多くなるのは、
スピリチュアルなエゴが強くなることで

分離感が強くなり、
不安が増すからなんだろうなと感じます。

 

 

 

みんなうすうす感じているんじゃないかな。
 

 

 

どんな修行も逆走

 

どんな「修行」も、実は逆の方向に向かっています。

 

 

 

修行を否定しているわけではないんです。

 

 

 

たとえば筋トレは

心身の健康に役立つものですが、
ボディビル選手になるほど行ったら
「健康」ではないですよね。

 

 

 

でも、
そこに喜びがあるなら、

それを選択する人がいてもいいと思います。

 

 

 

それでしか見られない景色がきっとあるはずだし、
そこに美しさや楽しさを感じるなら

「健康でない」なんて臆せず、どんどんしたらいい。

 

 

 

でも、
「健康」がほしいなら違うよね、ということです。

 

 

 

瞑想をはじめとした

あらゆるスピリチュアルな取り組みは、


温泉に入ったり、
お散歩したり、ストレッチしたり、

栄養のあるものを食べたりするのと同じで、

心身の健康や幸福感に役立つものではありますが、


「悟り」や「気づき」、
はたまた「願望実現」とは、まったく関係がありません

 

 

 

ほんとうにまったく関係がないんです。

(やりつくして疲れ果て無意味だったと絶望して諦めたときに
 気づきが起こることはあります=例:ブッダ)

 

 

 

「修行」として取り組むのなら、むしろ逆走しています。

 

 

 

思考が減ることで肩の力が抜け、
ストレスが減り、
失敗も少なくなるでしょうし、
心身の健康や幸福感にも役立つものですが、
「悟り」や「気づき」「願望実現」とは、まったく関係がないものです。

 

 

それらと交換できるカードじゃないんです。

 

 

 

エゴを減らすのではなく気づきのボリュームを上げる

 

何もしなくていいんですが、

何かしたいならば、

 

エゴをなくすのではなく
「明晰さ」を求める
ことをおすすめしたいなと思います。

 

 

それも、
「本気で」とか「覚悟を持って」とかではなく、
気楽にてきとうに

(「覚悟」などはむしろ不要です。
 逆走してしまうので。
 逆走してももちろんいいんだけれど、苦しいと思う)

 

 

 

アニータ・ムアジャーニさんの

「もしここが天国だったら?」という本の中に
 

 

「気づきのレベルを上げる」というような一文がありましたが
とってもいい表現だと思いました。

 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

もしも
エゴだけボリュームを下げることができたとすると



(実際には、
 なくそうとする動きはエゴそのものなので
 脳梗塞など、
 物理的に脳の機能が一部ストップする場合以外はできませんが)


この世界では、うつけのようになります

 

 

 

なにもすることができないし、感じられなくなります。

液状の光の点滅になる。

 

 

 

左右で同じ靴下を履けるのも、
待ち合わせの場所に行けるのも、
栄養バランスを考えたごはんを作れるのも、
美しい絵が描けるのも、
美しい踊りが踊れるのも、
エゴがあるからこそ。



エゴがなくなってしまえば、色もリズムもなくなります。

 

 

 

脳の作話機能(「個」を錯覚させるシステム)のおかげで、

わたしたちは、
実際には存在しない「世界」の彩りを体験できています。

 

 

 

世界を体験するために必要なシステムがエゴなんです。

 

 

 

世界楽しむという点では、
エゴと気づきとどちらのボリュームも上げて生きるのが
いちばん楽しいんじゃないでしょうか。

(またそのボリュームも、
 気分や体調で好きに選んだらいいんです。
 どちらも淡くぼんやりしてるほうが楽なときもあると思います)

 

 

 

エゴをなくしたくなるのは、エゴの言うことが真実だと思うから

 

エゴをどうにかしたくなるのは、
エゴの言っていることが本当だと感じているからです。

 

 

 

望んでいることが手に入らない気がするし、
恐れていることが起こってしまう気がするから。

 

 

 

だから、
どんどん不安になって
起こってしまいそうなことや対処法を思考し続け、
新たなストーリーを連想ゲームのように生み出して
それにがんじがらめになってしまい、
苦しくなってしまうのですが、



もしそれが真実(実体)ではないなら、どうでしょうか。

 

 

 

エゴをなくしたくなるのは、
エゴが言っていることを本当だと感じているからなんですが、
気づきがあれば(ただ見るなら)、

それが起こってはいないことが見えます。

 

 

 

それらが本当ではないと気づけば、
エゴはなくなりませんが、
思考の暴走や思考の量産は止まります。

(たとえ
 思考が暴走してネガティブになりまくっていても
 大丈夫だと気づいている状態になります。
 安全な家の中で台風を見学している感覚。
 ドキドキするし不安にもなるけれど、
 大丈夫だとわかっているみたいな感じ)

 

 

 

たとえば
バス停に座っていたとして

隣にいる子どもが

「嵐が来たぞー!」とか
「ゴジラが来たぞー!」とか言って
自分のまわりを走り回っていたとしても、

空を見て晴れていて、
雲もみつからなかったとしたら、本気にしないですよね。

 

 

 

これが気づき。
直接見るならわかる。
見ないで子どもの声だけ聞いていたら、本当だと思うかもしれません。
この子どもの声がエゴです。



あまりにも
思考や感情(エゴ)の言うことを聞きすぎて

見るゆとり(すきま)を失っているだけで、


見たなら、
それがほんとうではないとわかるし、


本当ではないと気づいているなら、
それはネガティブなものにはなりません。

 

 

 

本当ではないので

エゴは放っておいていいんです。
好きなように言わせておいていい。

 

 

 

心配性の5歳児のような、かわいいもの。
無邪気なものです。

 

 

 

そして、
こういったお話って、
絵が見えてくるまでは


「わけがわからない!」
「で…?」
「結局どうすれば…?」
「結局脳内で満足してろってこと?」


なんて、
エゴが暴走して
苦しくなったりするときがあると思います。

 

 

 

でも、
どれだけわけがわからなくても
エゴエゴしても、
ネガティブな感情や思考が暴走しても、
それで悪いことが起きたりするわけではまったくないし、



何かが叶ったり叶わなかったりすることとも、
まったく関係がありません。
(叶ったり叶わなかったりと錯覚することはある)

 

 

 

エゴエゴも、
ネガティブの暴走も、混乱も、
完璧な「大丈夫」のプロセスのうちなので、心配しなくて大丈夫です

(進次郎構文みたいになりましたが、
 大丈夫だから大丈夫だとしか言いようがないというか。
 なので、心配していても大丈夫ですにっこり

 

 

 

で、
エゴはなくせないとして(むしろ強まってしまう)、
それが苦しいならば、

 

 

 

エゴを受け入れていこうとするほうが、ずっと楽で近い道です。

(実際は距離はないし、
 はじめからそこにいて
 離れたこともなく、
 分離のストーリーだけがあります)

 

 

 

エゴを肯定するというよりも、
否定しないだけ。
「あっていいよ」と、存在を認める感じです。


(ゴキブリが嫌いでも、
 生命として存在していていいですよね。

 

 でも、
 ゴキブリがあってはならないとするなら、
 クリアしなければいけないタスクが多すぎて
 生き地獄になると思います)

 

 

 

押せば、同じだけ押し返され(るように感じ)ます。

 

 

 

否定しなければ、
エゴも暴れる必要を失っていくし、
暴れなければ、
エゴは複雑なストーリーを生み出す必要がなくなるので、
シンプルになり、
素直な5歳児になっていきます。

 

 

 

いっしょになって騒がなければ、
エゴは恐ろしいものではなく、


「自分」を守るために必死であるだけの
いじらしく健気でかわいらしい存在だ
ということが見えてくると思います。

 

 

 

てきとうさと気楽さがいちばん大事

 

今日は、
いつもの心理学的なお話とは
違う階層のお話を書いてみました。

 

 

 

いままでの記事は、
世界がありその中に自分がいるという視点からのお話。
(実際はどちらもない)

 

 

 

今日は、
自分も世界もない(ひとつ)という視点、
本質的な階層から書いてみました。

 

 

 

うっかり見えてしまった人をのぞいて、
この階層のお話はあんまり踏み込まず、
なるべく勉強せずに(スピ廃人になりやすい)、


不快な気持ちが起こったらこの話は捨てて、
できるだけてきとうに
流し聞きのような感じて聞いてください。

 

 

 

もし迷ったり不安になることがあったら
(=目の前の現実が存在すると感じるなら)
「現実的」なことをぜひ歩く花

 

 

 

アイス食べたり、温泉入ったり、
お散歩したり、漫画読んだりねニコニコ

 

 

 

少しでも気楽になれることをしてみてください。
 

 


てきとうさと気楽さがいちばん大事です。

 

 

 

ではまたね。

 

(冬の間のお散歩コース)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キラキラキラキラキラキラキラキラ最新記事が届きますハートキラキラキラキラキラキラキラキラ

フォローしてね

キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ

 

 

 

キラキラキラキラキラキラキラキラLitlink作りましたキラキラキラキラキラキラキラキラ

 

SNSまとめ⇒Litlink

キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ