こんにちは。雨歌です。



 


今日は、自分が癒されていくときに
よくしていた誤解について、
書いてみようと思います。

 

 

 

 


なんかさ、

わたしたちって、
なんらかの結果を出したいとか、
こうなりたいって目的地があるときに、


がんばったら、
右肩上がりで進んでいく、
あるいは、
ある日パッと劇的に世界が変わる、
みたいなことを、期待しないかしら。


わたしはせっかちだから、よくそうなるんだよね。
はやく結果ほしくて焦るのね。
 

 

 

 

なんだけど、
このイメージを持ってると、
無駄に自分を苦しめてしまうよなーって思う。





多くの場合、
こつこつ右肩上がりに、とか、
こつこつ直線状に、という風には、
進まないんだよね。

 

 

 

 

これは癒しのプロセスも同じで。



 

いま、わたしも含めて、
自分の内側を見つめている人が
たくさんいると思うんだけど、





わたしたちが癒されていくときも、


ブロック発見!これは不要だ!削除!
あ!傷があった!これはお母さんからだな。
その分、自分にやさしくするぞ!よし!
あー楽になった!キラリンキラキラみたいには、進まないニコニコ







人間には、
人間らしい(いとおしい)こころの動きがあって。


その反応のプロセスをとおって、
わたしたちは自由になっていく。




 

体の病気でも、
こころの傷でも、
前と同じ自分のまま、
状況が変わるということはなくて。





変化せずに癒されるということは、ないんだよね。





身体の病気だとわかりやすいよね。


薬を飲んで起こるのは、
症状の消失であって、
治っているわけではないから、


その病気(=ゆがみ・滞り)を作った、
生活習慣なり、食生活なり、考えなりを変える必要がある。





わたしたちが癒されていくときも




習慣とか、
仕事の仕方とか、仕事そのものとか、
人間関係とか、
信じていたものとか、


そのときどきで、
何になるかはいろいろだけど、





自分にとってはこれが必要で、
安心や安全を与えてくれるもの
だと思っていた、


自分が大切に握っていたなにかを、
手放す必要がある





 

つまり、
自分の一部だと思っていたものを
死なせる(にまかせる)ということ。







変化が起きるには、
自分のどこかが死ぬというプロセスをとおる





そりゃ、
こわいし、痛いし、抵抗したいよ、ってことなんだよ。





なんで
今日のブログを書きたくなったかというと、


だから、
痛みがあっても、
それで、まちがってないんだよ、
ってことを言いたかったの。






わたしたちはさ、


なにか痛みがあると、
罰せられているように感じて、



なにか悪いことをしているんじゃないか、
まちがっていることをしているんじゃないか、って
不安になってしまうんだけど


(これは子どもの頃、
 「悪いこと」をしたら罰せられて、
 痛みがあった経験から来る)





痛くても、
まちがった道にいるわけじゃないんだよね。







むしろ、
自然な治癒のプロセスの中にいるよ。







癒されていくことを、
こつこつ上向きに楽になっていくとイメージしてると、
自分を責めてしまいがちだけど、


何らかの自分の死をとおるのだから、


痛みがあったとしても、
それは自然なことで。





まちがったことじゃ、ないのよ。








だから、
癒しのプロセスは、
キューブラー・ロス博士の言う、
5段階の「死の受容のプロセス」をとおるよ。







死の受容のプロセスって、次の5つのプロセス。
(そのときどきで飛ぶプロセスもある)

  1. 否認
  2. 怒り
  3. 取引
  4. うつ
  5. 受容

 




このプロセスは、
小さなものだと毎日数分で繰り返すものもあるし
大きなものだと
何年もかかかって1サイクルまわるものもある。






自分の人生を振り返ると、
いろいろみつかると思う。

いま進行中のものもきっとあるよね。





最初に来るのは、「否認」。


「否認」ってさ、
自分がしているのに気づくと、
とても恥ずかしいし、
自分を責めてしまいがちなんだけど、


起きていることが見えなくなったり、
わからなくなったり、
そんなはずはない!って否定してしまったり、
誰かのせいにしたりしていても、






それで、とても、自然なことだよ。






否認って、

まだ受け止める準備ができていないもの、
認めたら壊れてしまうものから、
自分を守っている仕組みだから。


(つまり自分からのやさしさでできている)






受け入れる準備ができたときは、
自然と、見えるようになる。






「否認」を過ぎたら、
次は「怒り」になることが多い。


「なんでこんなことがわたしに起こるの!」
「許せない!」って。







ひととおり怒りまくると、


怒っても
誰も謝っても認めてもくれないし、
状況も望むようにはならないから、


今度は「取り引き」に入る。






相手や社会や出来事や
神様みたいな何かに対して、

「正しく」あろうとするんだよね。






自分にはまだまだ間違ってるところがある。
もっと「正しく」なるにはどうしたらいいだろう。





正しい発言、
正しい食事、
正しい服装、
正しい交友関係、
正しいお金、
正しいセッ クス
正しい正しい正しい正しい・・・・・・・。






これだけ正しいことをしたのだから

「それ」をください。
「それ」を起こさないでください。って。





どこから来る心の動きかというと、





よい子でいたら愛してくれるよね、
悪い子でなかったら怒らないでくれるよね、っていう


子どものころの
親との関係のパターンからなんだけど、






ほんとは全然関係ないものなのに、


わたしたちは、
子どもの頃作られた思い込みから


「正しさ」と「愛」をセットにしてしまうんだよね。


(正しくいたら、
 愛されるはず、
 認められるはず
 いいことが起こるはず、
 悪いことが起こらないはずって感覚は、
 ほとんどの人にあると思う

 「悪い」ことをしているように見える人を
 責めたいのも
 この子どものころの気持ちから)






ものすごく努力したり、
「引き寄せ」にはまったりするのも、この段階。






それでも、
望んでいたものは手に入らないから、
絶望して、

今度は、うつになる。





うつって、
「失ったのだ」
「手に入らないのだ」ということに対する否認で、






喪失に直面するまで続く。






ちゃんと失い、
ちゃんと嘆いて、
悲嘆に暮れて


(ちゃんとするのはここだけでいい。
 ちゃんと、大事に、嘆き、悲しむ)





(うつと嘆き悲しむことは、
 同じような落ち込みと捉えられがちだけど、
 エネルギー的に見ると、
 まったく違う状態。

 うつは、
 感情を感じないようにブロックができて、

 エネルギーがせき止められている状態。

 悲嘆は、
 心地よくはないかもしれないけど
 エネルギーが流れている状態。

 感情のエネルギーは、
 流れていることが、とても大事)





その都度、
しっかり、
意識的に、
目をそらさずに、
喪失を感じると、





ネガティブだ、
あってはならない、と思っていた
体の状態や心の状態や、
自分の人生の状態を、否定しなくなる。






それが起こってしまっている自分を否定しなくなる。






それがわたしの世界にあってもいいよ、
起こってもいいよ、

となったときが受容の段階で、






死のプロセスの最終段階になる。







「死」が起こりおわったとき、
「再誕」のサイクルに入る。

(季節と同じだよ。
 葉っぱが落ちるとき、
 もしかしたら木もこころが痛いのかもしれない)





新しいものが生まれるんだよね。
新しい自分、
新しい人生に、出会う。






できなかったら絶対ダメだ、
手に入らなかったら絶対ダメだ、
終わりだ、
と思っていたときは手に入らなかったものが


手に入ったりもする。

手に入らなくても、
自分を大切に思ったままでいられる。



 

それぞれの段階で、痛みがある。





それから、
それぞれの段階で、
それはまちがってる!危険だ!って
元に戻りたくなるこころの動きも
その都度、起きる。







でもそれも、
自分を守ろうとする自然なこころの動きで、






道をまちがえたあかしじゃないよ。





見えなくなっても、
怒りが吹き出してきても、
がんばりがオーバーヒートしても、
うつになっても。





どんな
痛みが起こったとしても、


道をまちがえたあかしじゃない。





痛くても、いいんだよ。





自分に起きているプロセスを
それを起こした深いところの自分を、
いのちの流れを、信じてほしいな、と思ったの。








ではまたね。


流れ星関連記事流れ星
 いま起きていること右矢印
 「混乱と喪失は、失敗やおわりではなく、創造のはじまり



 

 


ごはん待ちのふたり

 







今日の1曲はこれにしたよ。
山根麻以さんの「ふつうの唄」と「やさしいきもち」


 

 

 

 

山根麻以さんの歌を聞くと、
人のこころを震わせるのは、
歌っている人のこころの震えなんだな、と思う。

いつも泣いちゃう。なんて声だろう。
自分に歌ってる歌みたい。






世界中のみんなが、自分に、やさしくできますように。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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