植物たちに、
季節による
状態の移り変わりがあるように





わたしたちにもさ、
季節、と呼んでもいいような
移り変わりがある。


(それを統計的に学問にしたものが
 占星術や易や四柱推命などの
 占いって呼ばれているもの。

 大きい単位で見れば、
 数年、数十年、数千年って循環があるし
 小さく見れば、
 1日のうちでも
 数分、数時間と
 小さな循環がたくさん重なっている)





わたしたちは、


大事にしていたものや
それまでつつがなく進んでいたもの
当たり前に周囲にあったものを
失う、という経験をするとき、


とても混乱して痛みを感じるし
強い不安を感じる。





さほど
深くないつきあいの友人と
別れることになるとか


お金のために
とりあえずで通っていた
会社の契約を
打ち切られることになるとか


それほど
深いつながりは持てていない
ことだったとしても、


失いはじめると
超不安になったりするよね。







わたし、
なにか道まちがってる!?
わたしほんとに大丈夫!?って。





まして
大事なものだったりしたら、


人生詰んだ!って感じるくらい混乱するし


もう戻れない、
もうおわってしまいたいって
絶望するくらい
痛みを感じたりする。






なんだけれど





混乱や喪失は、
失敗でも
おわりでもなくて。






わたしたちにも
混乱する季節、
失う季節というのがあるよ。






それは、
はじまりの季節。






植物の冬と同じ。


花も葉っぱも
何もなくなってしまったように見える冬、


木は、
凍りついた土の下で、
次の春の準備をしてる。





冬は、見えないけれど、はじまりの季節。





ケーキを焼くときと似てる。





キッチンテーブルの上に
綺麗に並べた
小麦粉や卵や砂糖や
バニラエッセンスたち。





調理を始める前は
綺麗に整列して静かだったのに


安心で平和な風景だったのに





調理が始まると





つるんとした卵の殻は
割れて散らばるし
ボウルの中は
ベタベタぐちゃぐちゃの大混乱!になる。





確かにあったのに
さっきまでつかんでいたのに
小麦粉や卵や砂糖も見えなくなる。





もう2度と
小麦粉にもお砂糖にも会うことはできない。





調理が始まれば
混じって見えなくなる。


混じって
見えなくなってしまったものは
元に戻すことはできない。





けど、
手を休めなければ
ちゃんと焼きあがるよね。

これとよく似てるなと思う。






だから、
気持ちや状況が混乱すると


失敗してしまったように
間違った道に入ってしまったように感じるけれど






混乱も喪失も、
間違った道にいるって証拠じゃない。






ケーキを作るときみたいに


後ろではちゃんと
目には見えない調理が進んでる。





新しい創造が始まるときは、
いったん、
手にしていたものが

見えなくなるし
失ったように感じる
んだよね。





元に戻そうとせず
(戻らないし)
流れのまま歩み続ければ、


ちゃんとケーキは焼きあがる。






間違った道にいるのかなと
不安にならなくていい。





むしろ
激しく失っているときほど
本来の道に
強烈に戻っているときだったりするよ。





人間の世界は
お菓子の世界より
登場アイテムが多いから


何がどう流れているのか
何が出来上がるのかぜんぜん見えなくて
不安になることも多いけれど





必要なだけの
時間が過ぎた後、


あれがこうなったんだなと見えるときが来る。





そしてそれは必ず、
小麦粉やお砂糖や卵よりも


もっとずっと
食べたいと思ってたものなんだよね。







だいたい、
失うときって
もっと美味しいものを
食べたいときなんだよね。


小さくなった
お洋服を着替えるようなとき


手狭になった
部屋を引っ越しするようなとき


もっと大きなものを入れるために
器を作り変えているとき。






何かを失ったり
混乱したりするときって
不安で痛いから


どうしても
自分を責めてしまいがちだけれど





いま責めているその過去の自分が
未来の自分へプレゼントしようと
してくれてるものがある。






ダメだと思っていた
過去の自分をいとしく誇りに思うときがくる。





いま
否定している過去の自分って
いまの自分が思ってるより
ずっとすごいよ?






それに




わたしたちは、
拡大と発展、
ひとつのおわりで
次のはじまりを育てるという流れのなかにいるから





失うことは、止められない。





失うことは痛いから


どうにか
元どおりにしようとしたくなるし
自分や環境を呪いたくなるけれど





寒い冬を
寒さを呪って過ごすのか
家の中で春の準備をするのか選べるように





失う時期も
自分を責めて過ごすのか


たくさんの枝葉を伸ばせるように
痛みの根っこを掘って
(ネガティブな思い込みを見つけるということ)
深く根を張るための土を作るのか、選べるのよ。





そして、
いま寒過ぎて
どんなに信じられなかったとしても






春も来てしまうよ。





失うこともおわることも
止められないように





得ることも始まることも止めることはできない。





失う時期は
これまでの季節で収穫したものを
心のなかの祭壇に捧げるとき。


何を得たのか味わい
得たものを讃えるとき。


そして
広く根を張り

広い枝を育てるために


失うことで気づいた
自分のネガティブな思い込みを見つけて
そっと外していくとき。

(思い込みは気づいたら少しづつ外れていく)






苦しいからと
途中で見るのをやめて
ないことにすると

またはじめから
ケーキを焼きなおすことになる。
(それもいいけれど)




ちゃんと失おう。
ちゃんと混乱しよう。

自分を責めることに逃げずに
気持ちを感じて
その経験の真ん中にいよう。





喪失も混乱も、
誰かや何かのせいではなく、


より大きな目的のために
いまの自分が未来の自分のために贈ってる。





混乱と喪失は、
失敗でもおわりでもなく、
新しい創造のはじまり。





待っててね。



(宮古島の原っぱでの夕陽)


 

雨歌流れ星キラキラキラキラキラキラ

 

 

 

 

 

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