2月にSpringerから、“Evolution seen from the phase diagram of life”を出版しましたが、この本についての基本アイデアは、およそ40年前に行った脂質膜相転移の超音波測定から芽生えていました。この研究がどのような意味を持っているかについて簡単に述べることにします。

 

 脂質というのは生体由来の物質で、タンパク質、核酸、炭水化物などと並んで、基本的な分子群です。そして、すべての細胞にある細胞の主成分なので、非常に重要な生体分子なのです。脂質分子は、水と親和性が低い炭化水素鎖と水と親和性が高い極性基が共有結合した分子です。それで、脂質と水の混合物を作ると、炭化水素鎖を内側にして、簡単に膜構造ができることが分かっていて、仮に脂質と水があるだけで細胞様の構造ができるのです。

 

 それに対して、相転移というのは物理的な現象として代表的なものです。例えば、水分子は、氷、水、水蒸気という一見全く異なる状態を取ります。そして、氷と水、水と水蒸気および氷と水蒸気の間の変化を、相転移と呼びます。このような物質の状態変化としての相転移はすべての物質であります。そして、相転移には普通の氷と水の相転移のように潜熱を伴う一次相転移と、潜熱を伴わない二次相転移があるのです。

 

 

 脂質膜(例えば、DPPCという脂質)が相転移を示すことは1970年台でも分かっていたのですが、私たちが超音波測定をしてみると、極めて二次に近い相転移を示していることがわかりました。二次相転移の近傍での分子配置のイメージを示したのが上図の左側です。相転移点(相転移を示す温度)から十分低い温度では炭化水素鎖が綺麗に結晶状に配列しています。また、相転移点から十分高い温度では、炭化水素鎖が液体的にランダムに配置しているのです。これに対して、二次に近い相転移点近傍では、炭化水素鎖が結晶状に配列した領域と、液体的になっているところが入り乱れているというようなイメージになっています。

 

 超音波測定では、長距離の分子配置の揺らぎを観測することができ、上図の右側のように相転移点近傍で音速が下がり、物質として異常に柔らかくなっていて、二次に近い相転移になっていることが分かったのです。ちなみに最もシャープな谷間を示している曲線が純粋なDPPC分子(脂質分子)の膜の測定結果で、それ以外はコレステロールを色々な割合で混ぜた場合です。コレステロールが加わると、相転移が次第に消失していくことが分りました。

 

 このような研究で、大量の分子からなる物質の性質は、個々の分子の性質とは全く異なる性質を示すことがあるということを、身をもって知ったのでした。このことが、後のゲノム配列についての研究を考える時に、非常に役に立ったと思います。

 

 次回は、「閑人閑話 その108(75歳になって古希の会を開いてもらいました)」です。