以前、リモートで孫の勉強を見守っていたことがあります。もちろん孫は間違っている時とか『わからん!』ということがあります。そういう時、私は間違ったり、わからなかったりすることは『とても良いことだよ!』と言うことにしていました。分からないということは、ダメだと思っている人がいたり、子供にそのように教え込む人がいるのです。しかし、分からないということは物事を理解するための基本ですし、分からないということが直接疑問につながり、それを楽しむことができれば、人生は楽しくなるからです。

 

 

 それで、私は『わからない!』という言葉が好きです。研究者として長年仕事をしてきましたが、その基本は『わからない!』ということだからです。『わからない!』ということから『なぜだろう?』が発生して、『こうではないだろうか?』ということに仮説つながることもありますし、『全然わからない!』に戻る時もあります。しかし、分からないということを持ち続けることはとても大事だと思うのです。

 

 『全然わからない!』という状態があまり続いたり、他の人たちも『わからない!』と、『そういうものなのだ!』と皆が理由もなく納得してしまい、疑問を忘れてしまうということが起こります。ずいぶん昔の話なのですが、競争的予算の審査会の場で、『ゲノムにこのような単純なルールがある!』とデータを示したところ、審査員に『生物は複雑なものなのです。』と一蹴されたことがありました。何故単純なルールがあるかを研究するべきだと私は説得したのですが、成功しませんでした。

 

 疑問が非常に大事で、それを意味がないものとしてしまったら、研究のブレークスルーはあり得ません。私は一度ドイツに1年間ですが、留学したことがあります。そこで印象的だったことは、研究室のボスがしばしば『それはGood question!』と言っていたことでした。彼が言うには、答えが出せない疑問だけれど、その答えが得られたら科学的に新しい真実が得られるような問題は、”Good question!”だと言うわけです。ですから、『わからない!』ということから、場合によっては新しい研究が行われる可能性もあるのです。

 

 孫にはそういうことも語ったことはあると思いますが、もちろんそこまでは孫はわかりません。しかし、『わからない!』ということは、分かるようになるためには大事なプロセスなので、私はそのことを孫にいつも言っていました。

 

 私は講演などの後の質問コーナーでも、『それはGood question!です。答えはわかりません!』と言うことはしばしばです。そしてこれからも、『分かりません!』と言うことに躊躇しないようにしたいと思います。ただその後に、私の仮説はこういうことですと、言葉を付け加えるのは学者のくせのようなものですね。

 

 次回は、「閑人閑話 その210(第2外国語や第3外国語は役に立つか?)」です。