私が学んだ大学では英語を第1外国語として学びました。そして、選択科目として第2外国語や第3外国語というのも取ることができました。私は第2外国語として、ロシア語を選択し、第3外国語をドイツ語を取りました。それらは時間も少なく、どんなものかを知る程度の語学でした。そういうわけでほとんど第2、3外国語というのは役に立たないと思っていました。
先日、ある人と話をしていて、「私の大学では、第2外国語の科目はありませんでした。」ということを聞きました。それで、自分の経験を反芻してみて、やはり第2外国語や第3外国語は、それなりに役に立っていたような気がするということを思い出しました。
2回目の脳梗塞で右半身不随になる以前には、身体はかなり自信があり、スポーツクラブを通っていました。そこで出会ったのが、スラックライン(綱渡り)でした。最初は全くできなかったのですが、3年くらい通っている間に、かなり綱の上で立っていたり、歩いたりできるようになりました。ただ今回の話はそれとは全く別で、一時スタッフにロシア人の若い人がいたという話です。そのロシア人は日本語が得意ではなかったので、第2外国語で覚えていた「こんにちは。(ズヅラーストバ)」とか、「ありがとう(スパシーバ)。」など2つ、3つのロシア語をしゃべってみました。それ以上のロシア語の会話はほとんどできなかったのですが、相手のブロークンジャパニーズでしばらく和やかな会話をできました。
他にも、第2外国語や第3外国語が会話のきっかけになるという経験はありました。私は今からほぼ8年前に脳梗塞になり、その時の症状は右半身不随だったのですが、声帯も少し麻痺があったようでロレツが回りにくなっていました。STさんのおかげで発声は割と早く回復し、リハビリテーション病院に転院する頃には、会話は普通になりました。リハビリ病院の病室は普通の四人部屋だったので、色々な人がいました。入院中2回部屋が変わったのですが、2回目の部屋では台湾の人が同室で、色々と愚痴を言い合いました。というのは、もう一人の同室者が、盲目になった若者で、何かというと切れて粗暴な振る舞いをするのでした。見かねて台湾人(日本語堪能)と愚痴を言って慰めあっていたのです。
3つ目の部屋では、アメリカ人と同室になったのですが、その人とはどうもセンスが合わず、あまり話をしませんでした。しかし、そこに時々お見舞いに来るドイツ人とは話があって、ドイツ語でお話ししました。これが第3外国語だったのです。こちらも病人ということと、ドイツ語を喋ろうと努力する日本人は珍しいということで、一所懸命聞いてくれて、それなりに会話が成立したのが楽しかったという記憶があります。
最近は、リアルタイムの翻訳をするイヤフォンもあるようで、ますます外国人との会話のハードルは下がるような気がします。それでも昔学んだ第2、3外国語はそれなりに無駄ではないように思います。
次回は、「後期高齢者のぼやき その25(これまで身体のふらつきには3種類ありました)」です。
