私は、『高橋源一郎の飛ぶ教室』というNHKラジオ番組を毎週聞いていますが(ブログの第258話)、何回か聞いているうちに、彼の文章の書き方について分かったことがあります。それは、彼は文章を書くときに、イメージというか絵を頭に置いて書くことはないということでした。これは、私には全く考えられないことです。

 

 このブログでも分かるように、私の文章には必ず絵がついています。文章を書く時は、まず絵を考え、その絵を見ながら文章を絞り出しているのです。その事情を絵にしてみると、下図のようになります。高橋氏のように、書きたいことのキーワードがあると、そのキーワードから文章を紡ぐことができる人は確かにいるようです(左側)。しかし、私の場合は、イメージの中からキーワードが生まれ、キーワードからより細かなイメージができ、そのイメージを見ながら文章を書くという感じです(右側)。

 

 

 このような文章の書き方をすることは、実は40年前の失語症の後、長い時間をかけて獲得してきた書き方のような気がします。ずいぶん昔のことなので、失語症以前のことについては細かいことはあまりよく覚えていないのですが、文章をそのまま文章として、しっかりと記憶することはできていました。どちらかと言うと、それが得意だったと思います。しかし、脳梗塞の後、私の経験した失語症の特性から、言葉をそのまま記憶することは極めて難しくなりました。それで、記憶しておきたいことを、イメージとして記憶するように訓練してきたのです。

 

 もしイメージから文章を紡ぐということを訓練しなければ、多分私は血管性認知症から脱することはできなかったと思います。

 

 話は少し変わりますが、最近私はある本の原稿を数年かけて書いていました。内容は私の研究に関連したもので、ややこしい話なのでここでは触れませんが、ようやく最近それを完成させることができました。この本の構成に特徴があり、ある程度の文章の塊に対して、それを表すイラストやグラフなどが含めるようにしたのです。

 

 というか執筆するには、一連のイラストやグラフをまず考え、それに対して一連の文章を考えるという書き方をしてきました。本としてはあまり大きくないのですが、使った図の数は80枚以上にもなっています。海外の科学啓蒙書などでは、図がほとんどなく文章ばかりのものが少なくありません。私にはそのような芸当は全くできません。私の本は図が多くて分かりやすいと言われることがありますが、読者のための配慮というより、私の文章の書き方において、図は必須アイテムになっているのです。そして、それを遡れば、今回のような本などを書けるのは、失語症のおかげとも言えます。

 

 次回は、「2回の脳梗塞を経験した後期高齢者のお話 その3(『裏切らない筋肉とはー筋トレの科学』」です。