世田谷区の豪徳寺で井伊直弼のお墓をお参りしました。


以前からこの場所にお参りしたいと考えていました。


老中なる以前の嘉永 2年頃、井伊直弼はお付きの者に「近頃、腕のいい職人はいないか?」と聞いたところ、三浦乾也と言う者が腕を上げていると話、乾也へ陶器を象嵌した書棚を発注しました。


この書棚を納めたはその後、井伊直弼から徳川将軍へ献上され、乾也の名は広く諸国の藩主から、多くの注文をもらうようになりました。


それから井伊直弼は陶芸家として乾也から、茶道道具を始め陶芸も習いました。さらに近江彦根藩の窯業振興への協力をお願いしたようです。彦根城博物館には、乾也が所持していた尾形乾山の伝書の写しと乾也の署名が現在も残されています。


そのことから、乾也にとって井伊直弼は恩人であり、陶芸家として顧客でもありました。


この時の書棚は徳川家に現存するか不明ですが、考案図が国立東京博物館のアーカイブで見ることができます。


この翌年兄を亡くし井伊直弼は、家督を継ぎ、藩主として多忙を極め、嘉永6年ペリー来航により、老中阿部正弘の命で乾也も陶芸どころでは、なくなりました。


安政4年老中阿部正弘が亡くなると翌年の5年に直弼が老中となります。


そして、直弼は安政の大獄と呼ばれる政策により反感を持った水戸藩士により、安政7年3月3日(旧暦3月24日)の5ツ半(午前9時)、桜田門外の変で暗殺されました。


文政4年3月3日は、乾也の誕生日ですが、新暦で誕生日を祝うようになると井伊直弼の

命日と一緒になり、乾也も生前は、直弼の命日を意識していたのかもしれません。


当然ですが墓石には、旧暦の日付でした。

合掌🙏