年末の大掃除でプロが使う道具で障子を張替えました。


始め噴霧器で糊付けした部分を重点的に霧吹きします。


しばらく時間を置き、一部の紙を剥がして、その紙を他の紙を剥がす道具代わりにして紙を剥がしています。


ほぼ簡単に剥がすことができるばかりか、障子の木枠に塗られている砥の粉(とのこ、木の表面の仕上げに塗り落ち着いた色合いなど長持ちさせます)も綺麗に拭き取ります。


この木枠は框(かまち)といい組子(くみこ)でできていますが砥の粉や框は、普段使われなくなった言葉ですね。





掛け軸など表具や表装ではハケを糊(ノリ)用、シワ伸ばし用では硬めと柔らか目の 2種類、合計3種類を使いますが、今回は作業が少なく障子張替えでは安いハケを使います。


便利だったのが1mでも直線カットできるプラスチックのアクリル定規で 3枚同時に和紙が簡単にカットできました。








始め使う予定の糊が古く、400mlの水に粉糊1袋を溶かして2、3分置くと透明になり使うには30分置いてから新規に作て使うので30分時間のロスをしました。


障子張替えの作業は掛け軸の表具表装作業と同じ作業で和紙、糊、定規とカッターを使って和紙を必要な寸法に切る方法、ハケや霧吹きが必要です。プロ並みの道具を持っています。


現在も地域の表具表装の会といつでも連絡を取れる状態で5、6年前は月に一度参加して掛け軸の裏打ち程度を何度か体験しました。


和紙、和糊(わのり)を使った日本で家庭にある紙類は、何十年も長持ち、エコロジーでSDGsです。美術品・工芸品・修復には最適ですね。

12月22日月曜日で冬至の日に庭のモミジの葉が全て散りました。


今年モミジの紅葉がこれまでの年より、遅く感じました。





紅葉の始まりは緑色の葉は、片側から徐々に黄色く広がって変化しています。








一昨夜は強風で寝ていても外の風が吹いている音がしていました。

昨日は完全に葉が落ちました。




雨戸を開ける度にモミジの紅葉を見ていますが、これほど一晩で葉がなくなった経験は初めてでした。


画像は紅葉から、昨日散るまでの順番です。



 3泊4日旅行のおまけ、お土産を食べる


旅行に行く楽しみは、スケジュールを計画している頃から始まり、帰宅後も続きます。


伊勢神宮のおまけ横丁で買って来たお土産「伊勢奉祝 ぜんざいもち」を数日お昼の食後、デザートに少しずつ食べました。






購入してから賞味期限内だけでなく、できるだけ早く食べると柔らかく美味しく、甘くてフワフワで頂けました。


伊勢神宮のお土産では赤福が定番ですが、行列ができるほど長く待たなければならなかったこと。賞味期限が余り長くなかったので避けました。


自宅に帰り、食べ終わり、このブログを書き終わると短い旅行が、終わります。




3泊4日の伊勢志摩松阪旅行4日目13、レンタカーを返す前、時間があるので松阪市内の海水浴場に立ち寄ることにしました。


その前に伊勢市内のバイパスで見つけたガッテン寿司で海鮮丼のお昼にしました。



その後、松阪市海水浴場へ立寄り2つの河口の橋を渡りましたが、海水浴場のそばに2つの河口があるのは珍しいと感じました。


14:30までにレンタカーを松阪駅前に返す前にガソリンスタンドで満タン給油と領収書を用意し、13:40到着。




394km走りました。


松阪駅14:09発近鉄特急指定席券売機で1,340円特急名古屋行き15:17着。


名古屋15:41発のぞみ404号で車中にてひつまぶし弁当とワンカップを夕食には早い16時半には食べ終わりました。









ひつまぶしには、3つの食べ方があり、その通りに食べました。


自宅には19時に帰宅できました。

3泊4日の伊勢志摩松阪旅行4日目12、津市の仲山神社と多気町「しあわせの宮」の後、伊勢市金剛證寺、松名瀬海水浴場に行きました。


最後、時間的に間に合いそうな伊勢市の金剛證寺(こんごうしょうじ)の塔婆の道へ行ってみることにしました。


途中、土曜日でイベントがあった伊勢神宮内宮駐車場の行列渋滞があり、さらに伊勢志摩スカイライン1,270円の有料道路を通り、金剛證寺までいきました。


長い柱を使った大きな塔婆の道は奥院へ行く途中にあり、その道を入口だけ行って引き返して来ました。最近親族を亡くされたご家族が塔婆の下に生花とお線香をあげていて、ここから駐車場へ歩いて帰る途中にその塔婆を丸太からか?削り出している途中の木材加工場を見ました。













現在どこのお寺でもある普通の塔婆は、木工所へまとめて手配していると思うのですがお寺自ら、しかも大きな柱から加工しているのか?と驚きました。


金剛證寺の見学は駐車場、長い石段を登り山門、赤い太鼓橋がある池を通って本堂から、奥院、塔婆の道を通って行ったのですが、奥院から紹介しました。


最後、レンタカーを返す前、時間があるので松阪市内の海水浴場に立ち寄ることにしました。

3泊4日の伊勢志摩松阪旅行4日目11、津市美杉町八知(みすぎちょうやち)の仲山神社と多気郡多気町の「しあわせの宮」、伊勢市金剛證寺、松名瀬海水浴場


最終日の午前中は、行く所がなくミステリーツアーと思いネット検索してみました。


昔の記憶で三重県には、面白いお祭りがあったと思い仲山神社と似たような場所でしあわせの宮へ行ってみました。


それぞれここでは、ご紹介せずにコピペでネット検索して下さい。


仲山神社へ松阪市内から行くには1時間ほど非常に狭い山道、アップダウンのS字カーブの連続で大きな車では通れない道もありました。


軽自動車のレンタカーでしたので行くことができました。


仲山神社の境内や解説板も見ましたが、特に珍しい解説は初めて聞き古くから毎年 2月11日に行われている「牛蒡祭り(ごぼうまつり)」でした。山奥て今も昔も神社は、祭事がない時は寂しいですねー


ここに到着すると神社の前に津市下之川住民交流センターがあり、この裏にはトイレがありました。土曜日でほぼ車が止まってないのでセンター内には入りませんでした。








次に「しあわせの宮」に行きましたが、ここの駐車場はどこにあるのか?分からず誰もいなかったので鳥居と線路の間で安全な場所に止めました。


こちらには御神体なのか?社の前にありました。鳥居から、社までの途中にトイレがあり、弁当を持参すれば、休憩もできます。どちらも無人でお店もないので見学しただけでした。







神社、お寺のミステリー巡りで最後に伊勢市の金剛證寺を訪問することにしました。

つづく
3泊4日の伊勢志摩松阪旅行3日目10松阪市リゾートと多気町歴史資料館

14:30松浦武四郎記念館を後にして、これから訪問できる松阪市観光を事前に調べていましたが、レンタカー会社で話が出ていたのでヴィソン多気リゾート、ヴィソン(VISON)ホテルがあり、商業施設もあるとのことでした。





ヴィソン多気リゾートを訪問しましたが、何もなかった山を切り開いて開発した場所で若い人が多く年配の人は駐車場の精算にも時間がかかっていました。まだ準備中て、この後にも開業する店もありました。

食べ物屋がほとんどで見る所がなく車の4桁ナンバーを入力して自動精算する方式は、30分で200円の駐車場料金を払って来ました。

松阪市内へ帰る途中に多気町歴史資料館を訪問し、タキの名前の始まりについて聞いて来ました。

古くは竹・竹藪がたくさん生えている所で竹(タケ)の記録があり、後に地名は 2文字の漢字が縁起が良いことから多気となり、三つの村が合併して多気町になることを確認し、コピーを頂いて来ました。



最後の夜は、松阪駅に近くて大浴場があり、朝夕食事付きができるホテルルートイン松阪に泊まりました。


夕食と言ってもホテルの食堂ではなく周辺の居酒屋やレストラン、食堂と提携して 2千円の食事付き・外食です。






この夜は日本食レストランで美味しく頂きましたが、一人の宿泊費半分くらいの料金になりました。

明日は最終日で松阪市内観光を予定しましたが、地元の人でもこの日に訪れた程度で観光する所はないと言われ、この夜、行ける場所を探す予定でした。

老人のミステリーツアーですねー
3泊4日の伊勢志摩松阪旅行3日目9松阪市・北海道の命名者・松浦武四郎記念館






昼前に本居宣長記念館を訪問後、近く松阪市内のファミレスで昼食を取り、松浦武四郎記念館を初めて訪問、見学しました。

2019年『三浦乾也一門』(非売品)初めて上梓した際、当館から、乾也作品の画像提供を受けていて、この日、その寄贈した本に出会いました。

この記念館の入口には武四郎の絵本がたくさんありました。最近郷土史や郷土の人物紹介で幼児や小学低学年への語り聞かせの必要を強く感じていて武四郎が地元でよく知られていると感じました。










松浦武四郎は六代目尾形乾山の三浦乾也(けんや)の義兄に当たります。と言っても武四郎の妻となったのはわずか1週間たらずで帰ったと記述がありました。


乾也も初めて深川の富岡八幡宮境内にあった二軒茶屋の石井仏心の養子となり結婚した際、義母が歌舞伎役者を今でも言うオシカツをして焼き物を焼いて欲しいと頼まれたが、実父が楽屋勤めしていたため、そこを飛び出して独立しました。

そこに嫁が実家を出て付いて来たと言われ、結婚しても家族・夫婦が上手くいかないことは、今も昔も変わらないと感じます。

そんな一時的な関係であっても武四郎と乾也は、終生交流していました。今回の記念館訪問で学芸員と初めてお会いして乾也銘の作品を拝見することができて、こちらも興味深い作品でした。

最近、武四郎筆文書が付属した乾也作杦山窯(すぎやまがま)耳附水甁に出会いました。文書には仙䑓で乾也から贈られたことや底面に「乾也」刻銘があり、乾也が仙台藩、仙台の杉山台で堤焼以前に製作した作品と推定されます。

このことは安政4年以降、武四郎が仙台に来た時にこの作品を贈ったのではないか?と考えられます。

2029年目標の『三浦乾也一門完結編』で掲載予定でまだまだ作業がたくさんありそうです。