上野戦争彰義隊、第159回法要が子孫の会によって開催されました。






2026令和8年も予定通り午後13時から、住職により法要が、彰義隊子孫の会及び、彰義隊縁者参列で開催

されました。


今年は法要の住職が、墓標の正面に座られて配置が変わりました。


今年は、この場に来られていた方にお声をかけてみた所、ご先祖が彰義隊としてこの近くにいたと伝承があり、子孫の会へ加入をお誘いしました。会費は無料で年1回のこの日に、縁者や戦死者の供養が希望であれば、参加できます。


法要は13:40過ぎには、住職が雅楽と一緒に引き上げて終了しました。


その後、14時頃、歩いて上野駅で昭和通り側の貸し会議室で総会が開催されて15人が参加して16:30過ぎまで上野戦争と彰義隊について新情報や各自近況、紹介をしました。


資料配布と説明があれば、前もって連絡して、今回も初めて見る資料を頂き、貴重なお話が聞けました。


その後、近くの中華料理店で懇親会が開催され6人が参加しました。色々なお話が聞けて、楽しい時間を過ごしました。



18:40には、懇親会が終了しました。





 2時間、飲み放題で9品の料理が出て来て美味しく、生ビールと紹興酒でほろ酔いで満足です。

歴史散歩浅草の散歩その5「山谷堀を通って吉原大門へ」


江戸時代吉原は、何もない田んぼの中に堀を作って閉鎖した盛り土の土地になりました。


ここへ行くには、今戸橋から、山谷堀を舟で吉原大門(おおもん)近くまで来ます。

おおもんと読むのは、吉原だけです。


現在は、大通りがあって吉田へ入る所に「見返りの柳」があります。吉原から帰る際、名残り惜しさに振り返る、見返る所に柳がある。




このガソリンスタンドを曲がると先が見えないS字カーブになっています。吉原ができた当時から、このように先が見通せないように作られていることが、昔の絵図にも描かれています。


このS字カーブの左側にNHK大河ドラマで蔦谷重三郎が開いていた耕書堂(こうしょどう)があったのですが、それに倣い現在も喫茶店がありました。





ここを通り越して行くと左右に吉原大門(おおもん)の跡、街路灯が建っています。



ここから先が吉原で男の人が歩いているとお店から声がかかります。歴史散歩のグループなのでこの大門を過ぎて最初の通りを右に曲がって公園に入り、吉原の人物と志木市の交流解説を聞きました。


もう少し歴史の話をしないといけないのですが、今回はここまでにします。この後、三ノ輪まで歩きますが、もう一つ訪問先があります。つづく

歴史散歩浅草の散歩その4「今戸橋から山谷堀公園」





銀座線浅草駅の吾妻橋西詰から、今戸橋(いまどばし)まで来ました。ここは、かつて隅田川対岸の向島まで渡し船がありました。


しかも、今戸橋は山谷堀(さんやぼり)の川があり、ここから遊郭の吉原まで舟で行くことができました。


現在では、その舟が通った堀の上は暗渠(あんきょ)となり、全て堀の上に公園ができて桜など街路樹が、植えられて、くつろげる公園になっています。


ちなみに橋の名前がひらがなで書かれているのが、上流から見て右手、左手には、漢字で書かれているのは、河川の規則で決まっています。


今戸ばしと濁って読んでいますが、橋名の名称は、今戸はしと濁っていません。これは、川の水が濁らないようにと配慮したとか?しないとか?


始まりは、今戸橋で歩いてすぐに今戸人形最後の職人で有名な金澤春吉氏と今戸人形の解説案内板がありました。


金澤春吉氏の従兄弟が六世尾形乾山で先妻は、三浦乾也の兄弟子作根弁次郎・乾三(けんぞう)でした。


金澤春吉の命日は 2月29日なので4年に一度しか、ありませんがそれ以外の年は、毎年28日お参りする方がおられます。その菩提寺は、すぐ右側にある潮江院です。








今回は、このふさがれた公園の上を歩いて吉原まで歩きます。


桜並木があるので、数週間前までは、花見で賑わったことでしょう。


来週には、この山谷堀の北側にある今戸神社の例祭があります。今戸神社は、山谷堀公園にもあったように招き猫で有名です。


山谷堀公園は、吉原の手前で大通りにぶつかりなくなってしまいますが、大通りの右側に沿って吉原大門(おおもん)前に来ました。

歴史散歩浅草の散歩その3「猿若町と待乳山聖天社」


猿若町は、江戸時代から明治と歌舞伎役者が住み、歌舞伎を開く市村座などが江戸幕府の政策で曲輪(くるわ)と言う街の作りで集められていました。


江戸猿若町市村座跡の通りと石碑





当時の面影を確認しながら、その通りを歩いて行きました。この通りには、現在も舞台道具の藤浪小道具株式会社が、あります。


猿若町を含むこの一帯は、浅草三社祭の準備が進んでいました。猿若町の次は、待乳山聖天社に行きました。


待乳山聖天社は、まつちやましょうでんしゃと読みますが、神社ではなくお寺であり、待乳山本龍院が正式で、本龍院だったり、待乳山聖天と社を付けず読んだりされているようです。


ここの本堂には、中央に龍、左右に天女の天井画3枚が描かれています。






志木市の千手堂で天井画に天女の絵が描かれていて、その絵は、ここの右側の天女を写したと言われ、ここ待乳山聖天社の天井画を確認するために来ました。


お参りして、靴を脱いで本堂内に入り、狭いので畳の上に座りながら、天井画を鑑賞しました。左右に天女の絵が描かれていますが、右側の天女は、外側を向き、左側の天女は振り返りの姿で異なっていました。

残念ながら、本堂内の撮影が禁止なので画像はありません。


この待乳山聖天社は、夫婦円満祈願の聖天社で有名でお参りには、大根を一本奉納して願掛けします。昔は、1本の大根で先端が2つに別れた大根が縁起が良く、ご利益もあって、奉納されたり、売られていたり、したようです。


その願掛けが、叶うように、または、叶ったお礼に大根一本を無料で持ち帰りもできます。この近くで大根一本を持っている方を見かけたら、聖天社にお参りして来たことが、分かります。


この場所は、なぜか小山の高台で江戸名所図にも見晴らしが良いことで有名でした。以前は、もっと高くなっていたのを低く切り崩され、隅田川の治水に利用された説明が、ありました。


今回の歴史散歩は、志木市敷島神社の田子山富士にある明治3年に奉納された祠の玉垣にある浅草の歌舞伎役者や吉原町の名前を確認して、その人物がどこにいたのかを遡る旅です。


浅草の歌舞伎役者や吉原町の人物は、花柳界(かりゅうかい)の人たちで、どのようにして志木の人物と交流、関係があったのかは、不明です。


歴史散歩浅草の散歩その2「花戸川町と花戸川公園、姥ヶ池


始めは花戸川町と花戸川公園、この街は皮を利用した靴屋、皮屋がたくさん店を連ねていました。





この花戸川公園内には、姥ヶ池(うばがいけ)があり、浅草姥ヶ池として、物語があります。全国には、同じような姥ヶ池物語があり、ゲゲゲの鬼太郎や、ホラー映画にもあるかもしれません。


浅草浅草寺や、今戸神社、台東区産業会館など何度も来ていましたが、ここ花戸川公園に来たのは、初めてでした。

しかも、産業会館の裏側だったとは、気が付きませんでした。


その理由も歴史散歩によって始まりが、少しずつ分かって来ます。現代の言葉で中々表現できません。

志木市まちの案内人の会による、郷土史歴史散歩で浅草を散歩しました。その1


今回のタイトルは「新河岸川舟運の終点の浅草界隈を歩く」510日(日)10時~集合場所:浅草花川戸交番前(吾妻橋西詰め)、解散場所:三ノ輪(1230分頃)解散後昼食


・コース

花川戸町~花川戸公園~猿若町~待乳山聖天社~新吉原~淨閑寺~三ノ輪 解散

です。


集合場所は、埼玉県志木市にあった引又宿の新河岸川に船着場があり、そこから新河岸川を通り、浅草まで船による人、物が川舟によって運ばれていた時代に遡ります。


吾妻橋西詰には、船着場や荷物の積み替え、上げ下ろしが行われて、近くには楽しむための歌舞伎、花柳界が存在して栄えていました。






その船着場は、現在観光クルーズ船乗り場になり、隅田川を挟んでスカイツリーやビール会社の面白い風景になっています。歩き始めると東武鉄道浅草駅の建物を


歴史の史料は、田子山富士にある「経ヶ嶽玉垣」にある(歌舞伎役者・新吉原の寄進者)です。


この玉垣の名前には、浅草の歌舞伎役者や新吉原の地名と人名が記されています。


その人物が住んでいた浅草から、吉原、三ノ輪までを案内人の説明を受けながら、散歩しました。この日の参加者は10人で歴史散歩には、ちょうど良い人数です。


吾妻橋西詰にあるクルーズ船発着場所の裏側には、トイレがあるのでトイレ休憩してから、現在の助六通りを隅田川に沿って歩き始めました。


この場所は、かつて隅田川の1部になっていた河岸で舟がたくさん止まっていて人や物が集まり、にぎやかだったことでしょう。

この実が何の木の実か分かりますか?分かったらすごいですね。


昨日、埼玉県伊奈町バラ園に初めて行きました。バラ園の最も奥の公園に大きな木を3本見つけました。


この日も風が強く吹いていたので木の下をよく観察したら、古い木の実の他に綺麗な緑色の実を見つけました。同時に青々とした葉も一つ拾いました。


この木についてよくよく調べていないと緑色の実は、中々手元では見る機会がないので初めてでした。


また、玄関のうさちゃんにあげました。樹高が高いので遠くから見てもすぐに分かります。日本国が成立する頃以前から、およそ80年前までは、日本にありませんでした。


この木について、初めて原点に出会った解説をリブログします。









ここの3本の内1本は樹齢50年、2本は40年くらいで公園整備の際に植樹されたと思われます。


この公園には、他に野球場の脇に5本並んでいました。






夕方近くでしたが、埼玉県伊奈町のバラ園に行って来ました。



















午後 2時半過ぎに家を出て1時間ほど車で走り、出かけて行きました。まだ、バラ園前の出店は、販売していましたが、知人と合流したのが4時だったので入園する時は、出店の片付けが始まりバラ園の見学だけになりました。


町制施行記念公園内のバラ園は、約1.4ヘクタールの敷地に、400種5000株のバラが植えられています。 



山椒(さんしょ)の実が、青々と育って来ました。ハクビシンの足跡対策も必要です。





山椒やヒイラギなどトゲのある木は、ドロボー除けもあり、駐車場の入口、特に狭い路地に自然と生えて来た木もあります。


余り料理には、使いませんが、以前は食事の前に一粒なめるだけで味覚の神経が敏感になり、料理の味を感じやすくなります。


毎年たくさんの小さな花が咲いて実がなり、自然に落ちて地面から、実生で育って来ます。丸い二葉で芽を出して、次に三つの針状の葉が左右シンメトリーに変わるのが山椒の若芽です。

 2、3ヶ月するとこの大きさになって山椒らしくなります。この若木が何本か寄せ植えにして部屋やベランダで育てると夕食前に若葉を摘み取り、豆腐や煮物の上に乗せて香りを楽しみます。


今年もたくさん若芽が出ていますが、毎年ほぼ全て摘み取って処分しています。


もう一つ家の周りの路地にハクビシンが、出没して給湯器の上に足跡が付き、昨日も足跡がありました。



ヒキラギや山椒のトゲトゲが、動物避けになります。





そこでヒイラギの剪定枝を給湯器の上に乗せていますが、ほぼ風で落ちてしまいます。


そこで百円均一でネコ避けのトゲトゲ板を置いてみました。


まだまだですねー