昨日の大野極楽寺公園へ行った際のお話しです。
下りたバス停は大野停留所。
高い築堤のところを通っていますが、江戸時代初期、慶長年間に木曽川の氾濫で尾張を守るために築かれた堤。
歴史的遺産でもあり、ここはヤマザクラが植えられ、天然記念物指定もされています。
名鉄バス川島線は、ここ大野停留所から次の河田黒岩停留所までの一区間をこの御囲堤の上を通り、余談ではありますが河田黒岩停留所から東は、また別の路線バスが通ります。
この御囲堤の上を通る道路は県道となっており、このまま犬山市まで続きます。
で、大野停留所ですが、子供の頃はこの大野集落に住んでいて、お馴染みのバス停でした。
上の画像の標柱は、川島行きの物で、昔は一宮行き方向にだけ標柱が有りました。
この大野の交差点に信号機が設置された時に、大幅なレイアウトが変更されたらしく、標柱が無かった川島行き乗り場はダイナミックに東へずらされ、標柱設置です。
この川島行き標柱の反対側に、大野神社の横へ至る階段の道が有ります。
これを見ると、相当東へずらされています。
一宮市街地方面の乗り場。昔は歩道など無く、バス停部分が少し広めだっただけです。
上の画像、見難いですが上屋のテントがあります。かつてはここに一軒の商店経営のお宅がありました。
こんなところに何故?でしたが、昔の渡し船が有った頃からのお店だったらしいです。
もう無くなって半世紀近いので、思いっきり子供の頃の記憶を絞り出して書いています。
一宮市街地方面行き乗り場。
大野極楽寺公園と同様、綺麗に整備されていますね。
手前の標柱は地球に固定されていますが、現在は使用されていないようです。
屋のコンクリートの重し付標柱が、現役のもの。
これ察するところ、歩道を設置し、バス停整備で新たに停留所標柱を置いた際に、動かせるものではなく、地球に固定した標柱を設置。
しかしこの場所はバスペイの前の方になり、バスの乗り口(名鉄バスは中の扉から乗車)から離れているので、改めて乗車口に近い所に標柱を置いた物かと思います。
しかし地球に固定された標柱は簡単には外せず、バス停名の円板だけを外し、他はそのままにしたのだろうと思います、
かつて商店を営む一軒のお宅が有ったところ。
築堤補強で広くなっていますが、そのお宅が有った頃は、入口は築堤に接していましたが後ろは斜面の上。木曽福島や高山の岸屋造りのような構造でした。
信号機が付いた大野交差点。
子どもの頃はこんな信号は有りませんでした。
犬山市から続く県道は、ここで下へ降ります。
右手の堤の道は、御囲堤。
大野交差点から南へ下る道。これを下りると、昔住んでいたところです。
下りた先の十字路には火の見櫓が有り、地域の集まりで観光バスを仕立てて出発するときは、ここからの発車でした。
火の見櫓は無くなって、もう10年くらい経っているそうです。
というわけで、昔を思い出して、大野極楽寺公園の河津桜へと向かった次第です。
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