高市首相の「存立危機事態」発言が尾を引いている。一部の野党やリベラル・メディアのみならず、一部の有識者(元外務審議官の田中均氏、元大学教授・参議院議員・東京都知事の舛添要一氏など)や一部の与党議員(例えば党内野党とされる石破前首相の切り取り発言になってしまうが、「日中国交回復以来、細心の注意を払いながらやってきた」、台湾を巡る問題は「すごくデリケートなものだ」、「中国との関係なくしてわが国は成り立つのか」などの疑問を述べた)は高市発言に手厳しいが、政権支持率に影響を与えるに至っていない。

 振り返れば戦後日本は、石破前首相の言われる通り、体制として、先の戦争での贖罪意識から近隣諸国に遠慮し、近隣諸国に付け入る隙を与えて来た。よりによって日本の宝である子供たちを教育するための指針となる教科用図書検定基準に定められている近隣諸国条項(「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という規定)の設定にまつわるゴタゴタなどはその最たるものであろう(Wikipediaによればこの条項は、1982年以来、2013年に役割を終えたとされながら、今も生きている)。そろそろ普通の関係に戻してはどうかと考えていたように見える故・安倍首相の流れを汲む高市首相は、媚中の公明党が離れてくれたおかげで勢いづいたように見え、高市発言は、そのような文脈でうっかり口をついたものではなかったかと思われる。

 背景には、韜光養晦と言われ、自らに実力がない内は真意を隠してニコニコと諸外国に近づき有利な状況を創り出して来た中国が、大国として台頭するにつれて牙を剥き、西洋的な意味で「大国らしからぬ」、東洋的な意味では「王道」ではなく「覇道」と言うべき、威圧的な振る舞いをするに及んで、おとなしい日本人の間でも明らかに対中意識が変化していることが挙げられる。安倍政権や菅政権はともかく、岸田政権や石破政権と、中国に優しい政権が続いた反動で、是々非々で対応しようとする高市首相が待望されたと言えるかもしれない。オーストラリア戦略政策研究所(ASPI)によれば、経済的威圧は2020年から22年までの3年間だけでも73例に上るそうだ(11/28付の日経新聞より)。

 こうした状況は、ひとえに中国の不満に起因するように思われる。中国はもはや立派な「大国」なのに、中国自身が期待するような「大国」として遇されていないという不満である。グレアム・アリソン教授の著書『米中戦争前夜』(2017年)の日本語版序文で、船橋洋一氏は次のように述べておられた。

 

(引用はじめ)

 中国の戦略文化は、対外権力政治に深く彩られている。2010年のASEAN地域フォーラム(ARF)外相会議で楊潔篪中国外相が他国の外相を睨みつけ、言い放った「中国は大国であり、他の国々は小国である。それは厳然たる事実なのである」のレアルポリティークである。今の中国は、みずからの外交と安全保障を、国際法と倫理規範によって正当化する必要を感じているようには見えない。

(引用おわり)

 

 かつて東洋を特徴づけた華夷秩序における中華幻想であろう。大国も小国も対等と見るウェストファリア体制の西洋とは相容れない秩序認識である。

 マックス・ヴェーバーは統治の正統性を①合法的支配(例えば選挙など)、②伝統的支配(例えば天皇家の血統など)、③カリスマ的支配(例えば常勝ナポレオンなど)という三つの類型に整理した。中国共産党は、選挙もなく、血統もなく(何しろ中国という文明の場を乗っ取った、どこの馬の骨とも知れない匪賊の一つ(これを中国的王朝と呼ぶ)に過ぎない)、それでカリスマ性もなければ、中国「四千年」の歴史(には異論があるので「」書きにしておく)で繰り返されて来た興亡の波に容易に吞み込まれてしまいかねない。そのため、経済成長による人民の豊かさの実感や社会の安定というナラティブを振り撒いて、自己正当(正統)化を図って来た。また、天安門事件を契機に、国内引締めを図り、求心力を保つためにナショナリズムに訴え、その中核をなす「抗日」もまた(実際に抵抗したのは中国国民党だったが)中国共産党の自家薬篭中のナラティブの一つとして来た。その後、投資中心の経済は不動産バブル崩壊に至ってなおプラス成長を続けていると強弁し、ネット社会で自由な言論の名のもとに真偽ないまぜの怪しげな情報が行き交う世に、グレートファイアウォールや監視網(物理的な監視カメラを含めて)を築いて、無駄な抵抗を続けている。

 台湾問題は「大国」としての中国の核心的利益と呼ばれ、他国は当然のように従ってくれるものと期待され、確かにかつての華夷秩序のもとでは「御意」と受け止められたかもしないが、今の世の中ではただの自己都合に過ぎない。これを政治文書で言い換えれば、日本もアメリカも、「中華人民共和国を中国の唯一の合法的政府」と承認 (recognize) し、アメリカは「台湾海峡の両側のすべての中国人が中国は一つに過ぎず、台湾は中国の一部であると主張していること」を「認知し (acknowledge)」、日本はその中華人民共和国政府の立場を十分「理解し尊重する (understand and respect )」 ことにしたに過ぎず、その実、中華人民共和国の主張を「支持」しているわけではない。そこで両岸関係は平和的に解決されるべきであるという留保をつけ、平和的ではないならば、アメリカは国内法規である台湾関係法に従って介入するかもしれないし、しないかもしれないという所謂「曖昧戦略」によって、平和的ではない状況の発生を抑止してきた。高市発言は、日本は日米同盟に基づき、その状況が日本の「存立危機事態」と認定されれば、集団的自衛権を発動するかもしれないし、しないかもしれないと言っているに過ぎない。中国は、日本が侵略して台湾を助ける(という、中国の国内問題に介入する)かのようなナラティブを拡散するが、日本が助けるのは飽くまで自国(つまり自衛)であって、そのためにアメリカに加勢する(集団的自衛権の行使)に過ぎない。

 この理路整然とした状況に中国が不満があるとすれば、いずれ近い内に台湾を統一し、「中華民族の夢」を達成するという、中国共産党による統治を正当化するナラティブの一つに水を差されたからであろう。繰り返すが、中国のナラティブは自己都合でしかない。台湾問題は、専門家によれば、中国共産党と言うよりも習近平国家主席ご自身が歴史に名を残すという個人的名誉の自己都合でしかないようである。今回、習近平国家主席は相当気分を害したようで、もしそうだとすれば、まだ抑止機能があると見ることは可能かもしれない。いずれにしても、中国が最も恐れるのは、アメリカでもなければ、ましてや日本でもない(日米同盟は脅威だと思うが)、14億を擁する中国人民である。中国の行動原理は、この統治の脆弱性に源を発するものであり、ナラティブはそのためにのみ繰り出される。諸外国や国際社会との摩擦があることも厭わない。

 日本もまた、これまで同様に中国の特殊事情に最大限の理解と尊重を払いつつ、国際的な倫理や地域秩序、そして何より自国の名誉や存立を守るためには、対峙することも厭わないということだろうと思う。