美輪明宏さんが今月20日に亡くなっていたことが、28日に所属事務所から発表された。享年91。「老衰のため」と添えられたところが、如何にも美輪さん伝説に相応しいが、哀しくもある。

 かねて、瀬戸内寂聴さんとの対談本で、銀巴里のことは聞いていた。ご本人の説明によると、「文化人の集いの場所でもありました。十七代目中村勘三郎さんが『歌のうまい美少年がいる』って、江戸川乱歩さんを連れていらした。彼の小説は子どものころから読んでいたから、すぐにお友達になりました。すると、新進作家として売り出していた三島由紀夫さんが来て、次に川端康成さんを。東大の学生だった大江健三郎さんは詰め襟を着ていらしたし、当時高校生だった劇作家の寺山修司さんにもお会いした。芸術家の岡本太郎さんは、飛び入りで、流暢な仏語で歌をお歌いになったりと、きらびやかな日々でした。」(「週刊朝日」2015年7月24日号インタビュー) まるで幼馴染みの話をするようにあっけらかんと語っているが、とんでもない交友関係だ。更に同インタビューで、さりげなくこんなことも語っている。「私は、時代の目撃者だと思っています。日本は長い間まとってきた軍国主義の衣装を、1945年の8月15日を境に、民主主義へと衣替えをします。私たちはいまだ着こなせずにいる。それでも、しわの寄った襟や裾を引っ張りながら、何とか歩いてきました。立派だと思いますよ。ただ、悲しいかな。文化は失われかけている。戦後、建築家は、照明室や音響室から舞台が見えないといった不完全な箱モノを全国に建てました。そしていま、青山劇場などの閉館に見るように、日本中から舞台やホールが消え始めた。文化盛衰の歴史。それが戦後70年という歳月です。」 三島由紀夫には耐えられなかった過激で先鋭的な気分を、美輪さんは美輪さん風の表現でやんわりと世に問いかけられた。

 そんな美輪さんを見直したのは、つい最近のこと。悪趣味ともとられかねないメルヘンチックで派手な装丁の古本をブックオフで見つけて手に取ったのがきっかけで、表紙をめくると、およそ装丁には似つかわしくない達筆な署名があって目を見張り、パラパラとページを繰って、そのスピリチュアルな言葉の数々がごく自然に心に染み入ることに、二度、目を見張った。たとえば、『愛の大売り出し』(2018年、PARCO出版)という、如何にも人を食ったようなタイトルの本がある。冒頭、「恋は全て自分本位、愛は相手本位。人にも、動物にも、仕事にも、恋ではなく、愛をもって接すればすべてうまくいきます。愛はこの世の通行証。さあ皆さん、気前よく愛をばらまきましょう。ただし、押し売りはいけませんぞ!」 なんと明るく能天気な、それでいて、美輪さんが語るからこそ、上滑りにはならない味わいがある。

 私が百万言を費やしても言い尽くせない三輪さんの存在感の大きさを、三輪さんに身近に接したゆかりの二人に代わりに語ってもらおう。

 さんまさんが4日深夜に放送されたMBSラジオ「ヤングタウン土曜日」で追想された。以下、東スポWebから引用:

(引用はじめ)「とにかく会いたくなる人で。昔の苦労話から聞くと、すごいからね。もちろん原爆のこともあるけども。それから生き延びてきてて、それでああいうキャラクターになられてっていうか。新聞にやで、一面に『国賊』って書かれて。要するに『こいつは国にとって悪いやつだ』っていうことで。ああいう人やから、あの時日本はそんなの認めないような時代やから。『国賊』って書かれて、新聞の一面と戦ってきた人やからな」としみじみ。美輪さんの言葉には不思議な力があったそうで、「あの人が言うことは間違いないっていう。『こうした方がいいわよ』『ああした方がいいわよ』っていうことは。全部、『こっちが正しいんだ』って思うような存在やな。もう本当に神に近づいた人だったような気がするわ。そんなだけのいろんなことがあったりしながら。そして堂々と、そして面白く、それを語れるっていう。すごい人が亡くなられたのは事実なんですけども。とにかくいろんなことを教えていただいて、いろんな話を聞かせていただいて、本当に俺は幸せでしたね」と感慨深げに語った。(引用おわり)

 松山千春さんは29日にFM NACK5「松山千春 ON THE RADIO」で、「美輪さんは100(歳)や150(歳)は生きると思ってたよな。そうじゃなきゃおかしいだろって思ってたよな」と、しみじみ語ったそうだ。

 所属事務所によると、最後は「ありがとう」と一言感謝の言葉を伝え、静かに目を閉じた・・・ということだ。最後まで美輪伝説は健在だった。その謦咳に接することは出来なかったが、同時代にその断片を字面で追うことが出来た幸運に感謝しつつ、合掌。