大相撲には、モンゴル勢が活躍し始めた頃から興味を失って行った。大相撲は伝統芸能だと思っていた私は、それを格闘技だと勘違いする人たちの相撲や振る舞いを見ていられなかったからだ。

 しかし、半世紀近く前の小学生の頃は、父の影響でTVに釘付けになり、父に連れられて春場所(大阪府立体育会館)にも何度か通ったものだった。当時はセキュリティという言葉はなきに等しい、長閑な時代で、父が支度部屋に、まるで関係者であるかの如く何食わぬ顔でずけずけと入って行くのにくっ付いて、私も出入りした。今となっては信じられないことだ。また、幕下までの取組みは退屈なので、体育会館の裏口に付けるリンカーン・コンチネンタルの大型車から幕内力士が降り立ち、のっしのっしと会館入りするのを待ち構えて、頑張れーとばかりにぺたぺたと大きな身体を叩いたものだ。輪島、北の湖、先代・貴乃花や高見山が活躍した、古き良き時代だ。体育会館のトイレで、大鵬親方と期せずして二人並んで連れションしたこともある。

 その大鵬親方のお父ちゃんはウクライナ人のコサック騎兵将校だった。そのウクライナからやって来た若者が、この九州場所で幕内初優勝を成し遂げた。年6場所制となった1958年以降で4番目の年少記録となる弱冠21歳8ヶ月の若さである。親方の現役時代の四股名から「安x錦」の二文字をもらい、ウクライナ国旗の「青」色を組み合わせて、安青錦(あおにしき)と言う。

 遅まきながらAbemaTVで、今場所の安青錦関の全取組みを見た。欧州人だからと言って上背があるわけではない。鋭い踏み込みで下から当たり、レスリングで鍛えられたのであろう下半身が粘り強く、相手力士からすると、厳しい守りのためになかなか起こせないまま、ズルズルと俵を割ってしまう。何より礼儀正しく(土俵際の優勝インタビューで、おめでとうございますと言われ、有難うございますと答えて、ご丁寧に四方に向かって一礼したのである)、ポーカーフェイスで喜怒哀楽を表情に出さず、黙々と相撲に打ち込む姿が素晴らしい。アナウンサーに「3年前に来日して、もう優勝をつかみ取りました。改めて、振り返ってどうでしょう」と聞かれ、「師匠が言っていることをしっかりやってきて、その結果だと思います」と答える素直さも良い。

 2022年2月に始まったウクライナの戦禍を逃れて同年4月に来日したそうだ。ウクライナ戦争は間もなく4年を迎えようとしているが、その間、一人の若者が2023年秋場所に初土俵を踏み、所要9場所という史上最速タイで入幕を果たし、所要14場所という史上最速で来年・初場所での大関昇進が事実上、決まった。最初の頃こそ私たちはウクライナ戦争の悲惨さに心を痛めたものだが、4年近くも経って常態化し、普段は気にも留めなくなってしまった。戦争が長いと言うべきか、若者の出世が速いと言うべきか。

 今朝の日経・春秋によれば、今年の初場所に、キース・ヘリングの作品がモチーフの化粧まわしで臨んだそうだ。なんとも奇抜だが、そう言えば、私がアメリカ駐在時に生まれた長男の成長日記帳のデザインもキース・ヘリングだった。この化粧まわしでは、丸い地球を背に、二人の人物が両手を掲げて一緒に踊る姿が描かれている。二人の顔には表情が無い、あのキースらしい「のっぺらぼう」だが、画面からは何とも言えない喜びと躍動が伝わってくる。キースらしい平和への願いが込められているように見え、それはそのまま安青錦関の思いとも繋がっているのだろう。彼の活躍を、遠く祖国のウクライナの人たちのためにも見守りたい。