これはやはり書き残しておきたい。兄弟デュオ、ビリー・バンバンの兄・菅原孝さんが11日に亡くなっていたことが24日、分かった。享年81。

 1969年1月に「白いブランコ」でデビューし、20万枚超のヒットとなり、カレッジフォークの旗手として数々の名曲を残した。タレントのせんだみつおの加入・脱退があったことは知らない。72年に日本テレビ系「3丁目4番地」の主題歌に起用された「さよならをするために」が80万枚超の大ヒットとなり、同年のNHK紅白歌合戦に初出場したことも記憶にない。その作詞が石坂浩二だったことも初めて知った。当時のフォーク歌手の風潮として、他人の作詞・作曲したものを歌うのは一種の恥であると受け取る面があり、弟の進さんがこの曲のレコーディングをボイコットしたという逸話があるらしいが、それも知らない。何より二人の顔を覚えていない。でも、自分の小遣いで初めてレコードなるものを買う決心をして、何故か、ちあきなおみの「喝采」とビリー・バンバンの「さよならをするために」の間で、どちらにするか小さい胸を悩ませたことは鮮明に記憶している。そして何故か、ちあきなおみの「喝采」を買った。今にして思えば、大学の某軽音学部に所属し、共に活動する某女子大の学園祭で舞台に立って演奏したのだから、カレッジフォークの末席を汚していたと言えなくはないのだが、そんな自覚はない。今さら、「さよならをするために」を買っておけば良かったと思ったりもするが、詮ないことだ。私は幼な過ぎた。

 今はただ、美しいメロディーと、美しいハーモニーを懐かしむ。今でも、名曲だと思う。ビリー・バンバンという名前は忘れられるかもしれないが、「白いブランコ」や「さよならをするために」などの曲は残るだろう。ミュージシャンとして残らなくても、作品としての楽曲が残るのは、ミュージシャンとして本望だろう。合掌。