名優ロバート・レッドフォードが亡くなった。享年89。

 Wikipediaによれば、「1970年代に、ハリウッド屈指の美男俳優として数多くの映画に出演。1980年、自身が監督した映画『普通の人々』でアカデミー監督賞を受賞、作品もアカデミー作品賞を受賞し、ハリウッドで初めて『演技と製作の双方で地位を確立した映画人』といわれた」らしい。私は1980年代には映画から離れてしまい、彼の監督作品のことはよく知らないが、彼が出演した『明日に向って撃て!』(1969年)、『追憶』(1973年)、『スティング』(1973年)、『華麗なるギャツビー』(1974年)のことは忘れられない。勿論、リアルタイムではない、TVの●曜ロードショーで観た映画たちで、1970年代後半で、同時代の雰囲気を共有していた。

 中でも、19世紀末のアメリカ西部を舞台に、強盗団「壁の穴」を率いて銀行や鉄道を襲撃し、お尋ね者として知られる(ポールニューマン演ずる)ブッチ・キャシディと(ロバート・レッドフォード演ずる)相棒役サンダンス・キッドの青春を描いた西部劇『明日に向って撃て!(原題: Butch Cassidy and the Sundance Kid)』が特に印象に残る。ただの逃避行に過ぎないじゃないかと評価しない声があるが、キャサリン・ロス演じる麗しのエッタ・プレイスとの、今で言うドリカム状態で、殺伐とした中にも、バート・バカラックの挿入歌『雨にぬれても(Raindrops Keep Fallin' on My Head』をBGMに自転車に乗って戯れる牧歌的なシーンと、ボリビアに逃れて、ラスト・シーンで「次はオーストラリアに行こう」などと軽口を叩きながら包囲網の中に飛び込んで銃声だけがけたたましく響き渡るストップ・モーションは、映画の中の名場面として今後も長く語り継がれることだろう。

 ニッポンの高度成長の絶頂期を不自由なく過ごした我が身には、贅沢と言われようが、1960年安保や1970年安保の、心が満ち足りることのない、騒然とした世相が羨ましく思えるように、安全で安定した、しかし刺激の乏しい平凡な人生を歩む我が身には、ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの明日をも知れない流れ者の人生は、ヒリヒリするような刺激に満ちた、貧しくとも夢のある人生に映る。そこに感情移入し、疑似体験させてくれることこそ映画の醍醐味である。

 そんな中でも、ロバート・レッドフォードという人は、Wikipediaによれば、高校を卒業後、野球の特待生としてコロラド大学に進学し投手として活躍するも、未成年での飲酒が発覚し特待生の資格を失ったことを機に中退し、その後、画家の道を志してヨーロッパに渡り放浪生活を送るも、挫折してアメリカに戻り、ユタ州に移住してアメリカ演劇アカデミーで舞台美術を学ぶが、途中から俳優に転向し、1959年にブロードウェイでデビューしたのだという。一見すると、ただの洋々とした二枚目俳優に過ぎないように見えながら、どこか普通ではない哀愁を醸し出して記憶に残るのは、そういう事情があったからなのだと、今更ながら感じ入った。

 また一人、同時代のアイコンを失って寂しい限りだが、それは彼の肉体が失なわれたことを知ったこの瞬間だけのことであって、実は彼を見なくなって久しかった。逆に言うと、心配しなくても、彼の雄姿は永遠に映像として心に刻み込まれている。私の心のキャンバスにざわざわとした小さくない風紋を残してくれたことに感謝しつつ、合掌。