中国共産党のパフォーマンスや国内の些末な「コップの中の争い」に気を取られて、大事な人を亡くしていたことを忘れてはいけない。金曜夜8時からの日本テレビ系の人気刑事ドラマ「太陽にほえろ!」で、七曲署捜査第一課捜査第一係の警部補「山さん」役で知られた俳優の露口茂さんが4月28日に亡くなっていたことが2日に分かった、と報道があった。享年93。

 子供の頃に友達と「太陽にほえろ!」“ごっこ”をやったことがあるが、放映の14年間、計718回を通して「太陽にほえろ!」(1972~1986年)の熱心な視聴者だったわけではない。多くの人もそうであろう。これだけの長期に亘るドラマなので、その人の年齢や関心に応じて、近づいたり遠ざかったりし、殉職を理由に刑事役が適度に入れ替わったので、それぞれに贔屓の刑事役がいたことだろう。その贔屓を聞き出せば、凡その年齢がバレてしまうかもしれない(笑)。当初の構想では、「マカロニ刑事こと早見淳を主人公とし、『青春アクションドラマ』と銘打って彼の成長物語として展開していく予定」だったと、Wikipediaにある。しかし、「早見役の萩原健一が降板を熱望し『劇中で死にたい』という本人の申し出を製作側が受け入れ」(同)、その後も番組を終了させずに、殉職刑事を補充しながら、言わば連作のような形で14年間も続けることになった。それでも飽きさせずに続けられたのは、Wikipediaが二つ目の特徴に掲げる「性格設定を与え、それぞれの人間像を浮彫りにした」ことにあるのだろう。

 通称「落としの山さん」は、七曲署の藤堂・捜査第一係長(石原裕次郎)を補佐するNo.2のベテラン刑事だった。軽快なBGMとともに何かと新人刑事に全力疾走させるシーンが多い番組で(微笑、Wikipediaによると、最初の中心監督メンバーに、人間の最も美しい姿は一生懸命走る姿であるという考えの持ち主がいたからだという)、何事にも動じない冷静沈着で思慮深い人物造形が際立ち、参謀役の典型として、子供心に憧れだった。露口茂さんは山さん役を見事に好演され、私の中には露口さんにそれ以外のイメージはない。番組降板にあたって、当初は栄転する形が予定されていたが、ご本人の希望で殉職に変更されたという。この変更について、「転勤で降板という形に対して山さんが首を横に振った。部下が殉職しているのに自分だけ生き残ることに山さんが違うと言った」と語ったそうだ(Wikipedia)。う~む、山さんらしい。

 プライベートでは、違う印象もあるようだ。ゴルフ好きで、ドラマ関係者で行ったコンペでは「本当に楽しそうにふざけていた」という(石原良純氏による)。そうかと言って、番組終了後(というのは1986年以降の意であろう)、出演者で集まる機会があっても一切顔を出さなかったという(同氏による)。石原氏は露口さんに「去りゆく者の美学があった」と言うが、言い得て妙、私は逆に、私生活はともかく、役者としても一人の男の美学を示し得たのは役者冥利に尽きるのではないかと思う。実際に、1990年代に京都の撮影所で、「もう、僕のやりたいドラマはなくなった。引退だよ」と引退をほのめかしていた(三田村邦彦氏による)らしいし、2013年の雑誌インタビューでは、元気で普通の生活を送っているが、「役者として復帰は特に考えていません」と述べ、露口家に近い者の話として、オファーは多数あったが、復帰をしてまで演じたい役がなかったこと、今の時代に自分が演じたい役はないだろうと語っていたという(Wikipediaによる)。

 こうして亡くなったのを機に思い出を辿ると、TVドラマ、映画、書籍、あるいは歴史的・経験的事象、また実在の恩師・先輩・友人・親族との関係など、実に様々な人間模様に学んで、今の自分があることが分かる。

 今頃、ボス(石原裕次郎、87年没)、スコッチ(沖雅也、83年没)、ジーパン(松田優作、89年没)、ブルース(又野誠治、04年没)、長さん(下川辰平、04年没)、トシさん(地井武男、12年没)、マカロニ(萩原健一、19年没)、ボン(宮内淳、20年没)、ラガー(渡辺徹、22年没)等と、酒盛りでもして楽しんでいるだろうか。それにしても、ほぼ半数が鬼籍に入ったとは、時代の流れを感じないわけにはいかない。