「奈良のシカを足で蹴り上げる、とんでもない人がいる」と、総裁選が告示された先月22日に高市早苗さんが発言してから、ネットでは賛否両論で盛り上がった。「外国から観光に来て、日本人が大切にしているものをわざと痛めつけようとする人がいるんだとすれば、何かが行き過ぎている」とも述べ、参政党が火をつけた外国人政策問題に一定の方向性を示した。

 私のスマホでも、奈良公園のシカと戯れる外国人の動画が溢れるようになった(微笑)。「奈良のシカを足で蹴り上げる、とんでもない人がいる」のはまんざら嘘ではないのだろうが、それがどれくらいのマグニチュードで、その中で外国人の比率がどれくらい目立つのか、その真偽となると明らかではない。相手は一応、野生のシカなのだから、結果として暴力行為に近いトラブルに至ることもあるだろう。これを受けて、一週間後の29日放映の日テレ系「news every.」が実態を検証して・・・と言っても、現地のガイドや飲食店経営者にインタビューした程度だが、やらせだと番組批判したり、インタビュー対象者を誹謗中傷したりする声が溢れて、ネットが荒れた。特に悪意なく好奇心を満足させるためだけの取材だったかもしれないが、タイミングからすれば、高市候補の足を引っ張る行為に見えたとしても致し方ない。常日頃、中立というより政権批判寄りのリベラルな報道姿勢のテレビ局が自ら蒔いたタネと言える。

 高市さんの頭にあったのは、地元・奈良のシカに託けて、むしろ「外国から観光に来て、日本人が大切にしているものをわざと痛めつけようとする人がいる」というオーバーツーリズムの問題提起だっただろう。地域住民の生活が多大なる迷惑を受け、文化財など日本人が大切にする建造物が傷つけられ、あるいは辱められるニュースを知って、心を痛めている日本人は多いはずだ。

 この一連の騒動は、小泉進次郎さんのステマ問題と同様、マイナスに働くことが懸念されたが、大きなダメージはなく、総裁選で高市さんが勝ち抜いた。大逆転という声すらある。最後に最高顧問の麻生太郎さんと茂木敏充さんの陣営が動いたと言われるが、麻生さんはかねて党員・党友票を最も獲得した候補に票を投じると宣言されていて、自民党の保守離れを危惧する声に耳を傾けたと言えるだろう。決選投票前の演説を見比べると、小泉さんは(後知恵ながら)まるで敗者の弁を聞いているようであり、高市さんの前向きな発言が好感される。

 高市さんのことは、かつて『アズ・ア・タックス・ペイヤー』という(アマゾンで調べると1989年11月に祥伝社から出た)軽めの本で知った。米国連邦議会で立法調査官(コングレッショナル・フェロー)として勤務された経験を踏まえて書かれたもので、内容は殆ど忘れてしまったが、唯一、ベトナム戦争のときでもアメリカという国は一般市民が「アズ・ア・タックス・ペイヤー」と言って乞えば視察のためのヘリを出す、というエピソードだけは覚えている。国民が主であり、税金は重い、ということを、あらためて漠然と植え付けられたものだった。高市さんにとっても政治の原点となる経験だったことだろう。あれから36年が経ち、とうとう政権与党の総裁の座に昇り詰めた(今のままでは総理大臣の可能性が高い)というのは感慨深い。

 早速、台湾の頼清徳総統はSNSに日本語で祝意を投稿し、韓国メディアは「女性安倍」と呼んで警戒し、中国・外務省は「日本側が歴史や台湾といった重要な問題で政治的な約束を忠実に守り、前向きで理性的な対中政策を実行することを望む」などと国慶節に伴う大型連休中にわざわざコメントした(が、余計なお世話だ)。米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は、「政治において女性が非常に過小評価されている日本での画期的な出来事」と讃えたというが(産経新聞)、これも余計なお世話だ。日本は建国神話で、女神の天照大神が高天原を統べる主宰神だったのであり、神功皇后は戦後、皇統譜で天皇から外されたが、三韓征伐の実施など約70年間統治したとされている。事実かどうかは別にして、そういう神話を戴く国である。

 国内では、公明党の斎藤鉄夫代表が、挨拶に訪れた高市さんに対して、日本維新の会の連立入りを牽制し、記者団に対して、「政策協議で一致すれば連立政権になるが、今の段階では何とも申し上げることができない」と、連立離脱をほのめかしたらしい。総裁選前にも、「保守中道路線の私たちの理念に合った方でなければ、連立政権を組むわけにいかない」と述べていたから、一貫しているが、自画像は保守中道のつもりでも外の目にはリベラルなハト派と映っていることを自覚しなければならないし、そのアイデンティティが内外から問われて、存立の危機にあり、今後の政局が注目される。公明党にも解党的出直しが求められている。

 福島瑞穂さんは、高市さんが選択的夫婦別姓に反対して来たことを踏まえて「自民党初の女性総裁ですが全くうれしくありません。極めて残念です」「女性なら誰でもいいというわけではないということの、一番の見本のケースだと思います」と切り捨てたらしい。「自民党総裁になった高市さんを、総理大臣にしてはなりません。社民党は戦争の道を止めたいんです。差別排外主義も止めたいんです。男女平等を実現したいんです」と訴えたというが、相変わらずお花畑を絵に描いたようなお方だ。

 ようやく「ガラスの天井」が破られたという報道も目に付くが、現代の人々がそう感じるなら、そんなものはとっとと無くてしまった方がよい。しかし性差はあって当然で、同じ土俵に立ちながらも、オッサンが多い中で女性らしく(などと言うとハラスメントになるのだろう)、しなやかに、したたかに・・・と言いたいところだが、「両親が共働きの中流家庭で育った高市氏は、ロックミュージシャンになることを夢見ていた。学生時代はカワサキのオートバイで神戸大学に通い、ドラマーとしてバンドに参加した」(ウォール・ストリート・ジャーナル日本版)というから、これも余計なお世話かもしれない。