友人からまわってきた情報で、今の時期興味深いものであったので載せてみました。

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興味深い内容でしたので秋月博士について調べてみました…大切な方に〓させて頂きます〓〓
〓感謝〓

皆さま〓
おはよぅござぃます〓〓
長崎原爆投下時、爆心地から僅か1.8km地点にて被爆したにも関わらず…食事療法(栄養学)により病院長として多くの人命を救い…
89歳まで長生きなさった秋月博士について調べてみましたのでご参考にどうぞ~〓〓

〓〓love〓gratitude〓〓
  〓яσмι〓
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【秋月辰一郎博士】
1916-2005
昭和-平成時代の医師,平和運動家。
大正5年1月3日生まれ。
昭和19年長崎浦上第一病院(現聖フランシスコ病院)医長となり,のち病院長。
20年間長崎で被爆。以後,被爆者の診療に従事するかたわら,被爆体験・資料の収集発掘につとめた。
長崎平和推進協会の初代理事長。
47年吉川英治文化賞。
60年ローマ法王ヨハネ・パウロ2世から聖シルベステル勲章。
平成7年永井隆記念賞。
平成17年10月20日死去。
89歳。長崎県出身。京都帝大卒。
著作に「長崎原爆記—被爆医師の証言」など。
1945年8月9日、長崎に原爆が投下された。その爆心地から、たった1.8kmのところで、当時聖フランシスコ病院医長であった秋月辰一郎博士と病院関係者は全員被爆した。とっさの機転で体のガードをした彼ら以外、同じ距離で被爆した人は、皆、原爆症に苦しみながら、早くに亡くなっています。彼らは、皆、原爆症にもかからず長生きし、そのとっさの指示を皆に与えた医師は、90歳近くまで長生きされたようです。原爆を落とされたとき、何が、生と死の明暗を分けたのでしょう?
博士は次のように職員に命令したという。
「爆弾をうけた人には〓塩がいい。
〓玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。
塩からい〓味噌汁をつくって毎日食べさせろ。
そして、〓甘いものを避けろ。
〓砂糖は絶対にいかんぞ」
(秋月辰一郎著「死の同心円-長崎被爆医師の記録」講談社刊) 

〓砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり、塩のナトリウムイオンは造血細胞に活力を与えるという、彼自身の食養医学によってである。 
すると、どうであろう。
そのとき患者の救助にあたったスタッフらに、原爆症の症状が出なかったのである。ふつうなら、しだいに原爆症の症状が出て、進行してしまうところなのに、彼らはそれからのち、ずっと現実に生き延びているのである。
このことは、私にとって大きなショックであった。
食というものによる、見かけからはなかなかわからない「〓体質的な強さ」というものの思い価値を知り驚嘆した。
ちょっとした体質のガードが、明らかに生と死を分けているからである。

〓口から入るもの(飲食)が一番身体内部に直接影響を与える外部からの環境因子になりますから、たしかに、身体の体液環境を守りうる要因にはなりうるのです。
毎日、ハンバーガーなどのジャンクフードや、牛丼、コンビニで買った食品添加物山盛りのレトルト食品ばかりで食事をすませていたり、外食で、焼肉やおいしいグルメの食べ歩きばかりしていて、さらには、とくに甘いものには目がないときたら、そういう人たちは、放射能汚染がおこり、被爆でもしたら、原爆症になりやすいのではないかと思います。

博士の書いた「長崎原爆体験記」(日本図書刊行センター刊「日本の原爆記録」第9巻に所収)という本の英訳版が欧米で出まわり、チェルノブイリ原発事故のあと、ヨーロッパで日本の「〓みそ」がとぶように売れたということはあまり知られていない。
(中略)秋月博士は、「体質医学」の大切さを主張し、次のようにいっている。
〓「人間の体質を作り変えることが医学の本然の姿であるという信念による。
人間の体質を作り変えて、病気にかからなくてすむ身体、また病気にかかっても軽くて治る身体になることである。
また、慢性疾患に罹患していても、体質を変えていつの間にか病気が離れる身体になるのが体質医学である。」
(「体質と食物」)

↓より抜粋
http://otsukako.livedoor.biz/
秋月辰一郎博士(NBC長崎放送)
http://www2.nbc-nagasaki.co.jp/peace/voices/no11.php


みたか北口総合整体院@勝野