毎火曜のヨガクラスを終えた後に、時々立ち寄る井口院(三鷹不動尊)。その門前の言葉を、これまでにもご紹介してきましたが、昨日の言葉にも我が身に響くものがありました。


成功は結果であって

目的ではない

失敗は

その悔しさが

後の糧になる



ヨーガ(ヨガ)の智慧を学び、「行為の結果に対して執着しない」という精神性を育むことの重要性を体得してからは、「成功」や「失敗」といった二極対立の思いに翻弄されることはほとんどなくなったかな、と実感しています。


物事が思うようにいかなかったり、人に嘘をつかれてしまったりすることは事実としてあります。そんな時に、悔しい思いや苛立ちといった感情に乱されてしまうと、自分でストレスを憎悪させてしまうだけ。


人生における成功・不成功の思いに囚われてしまうことで、ストレスを憎悪させ、心身症を発症させてしまう人は少なくないようです。ヨーガ療法士養成の講座でも、様々な事例を学びました。


私自身をふり返ってみると、今はともかく、昔、会社勤めをしていた頃には、自分なりに、仕事や人生に対して具体的な目標・夢があり、それを達成することが「成功」だと信じていたことを思い出します。


目標に近づいたと思うと不意に障害物が現れ、乗り越えたと思ったらまた別の壁にぶち当たったり、その繰り返しで、有頂天になったり、落胆したり、感情の起伏が激しかったと思います。それを刺激的な人生だと勘違いしていたのは、若さゆえでしょうか...。悪い大人に騙されて(苦笑)、民事訴訟を体験したこともありました。そんな事々が芋づる式に思い出されます。


結局、その頃抱いた目標・夢を達成することは叶わず、心身のバランスを崩してしまい、それまでの仕事を一時休止しました。時間に余裕ができたことで、ヨーガやアロマセラピーなどを真剣に学び始め、その恩恵もあって回復することができ、今に至っているわけです。


「失敗」というと、やや語弊がありますが、大きな挫折感を味わったからこそ、その後の人生で何を大切に生きていくべきかを真剣に考えるようになれたと今は考えています。


あらためて、「失敗」は、その後の大きな糧になり得る貴重な体験だと感じています。「失敗」という言葉の持つイメージがネガティブです、ね。ほんとは大きな可能性を秘めているのに...。


そんなことをあれこれ考えているうちに、けっこう時間が過ぎていました。ちょっとした瞑想タイムを終え、心がすっきりと整ったところで、家路へ向ったのでした。



境内では、白梅が見納めです。