第10回浜松国際ピアノコンクール。

16日間のコンクール出場者たちのピアノの競演が終わりました。

 

コンペティターたちの一人ずつ違う個性的な演奏に、たびたび心踊らせて、毎日がワクワク楽しい16日間でしたきらきら

 

第1次では88名だったのが2次では24名になり、12名、6名と振り落とされていく様子を見ていて、「なんでこの人落とされたかな」などと、なんだか納得いかないような、すっきりしない感覚を持ったのも事実。

 

ピアノコンクールではつきものの感覚ではありますが…

 

けれど、浜コンホームページのoffcial reportに審査員のインタビューがあって、それを読んだとき、腑に落ちなかったことが、なんとなくわかった気がしました。

 

 

ポール・ヒューズ審査委員インタビュー

 

「プログラミングは核心部分だと思います。全ての作品がうまく調和していないといけませんし、自分が言いたいことを語り、自分だけの感性によるコミュニケーションができるものでないといけません。技術的に正しく演奏するだけでは意味がありません。ささやかな瞬間がもっとも雄弁に語ることもあります。繋がれたと思える瞬間は、魔法のようです。そんなほんのちょっと心を動かされる瞬間があると、とてもおもしろい音楽家だと感じるのです。

 ただ、これが起きる瞬間は、人によって違います。私の心を動かすことも、他の人の心は動かさないかもしれない。」

 

「よくある誤解は難曲を速く大音量で弾けばいいということ。そんなことをしても審査委員に好印象を与えることはありません。むしろそれは、もっとも重要視していないポイント」

 

「ある作曲家の同じ曲集を別のステージでわけて演奏するということは、せっかく選曲が自由な場面で、ものすごく損をしていると思います。せっかくさまざまな側面を見せられる好機をむだにしているのと同じことです。」

(優勝候補だと思っていたアリョーシャ・ユリニッチさんが3次に進めなかった訳がこれでわかりました。)

 

 

アレクサンダー・コブリン審査委員インタビュー

 

「個性の違いは、楽譜に忠実に演奏し、同じ言葉、リズムの上で、同じゴールを目指している中、自然とあらわれてくるものです。たとえばギレリスとリヒテルの解釈の違いは、同じゴールに向かい、同じようにスフォルツァンドを弾く中で出てくるものです。」

 

 

それから、3次が終わった次の日に、本選に行けなかった5人の方を生徒にして、審査員が教えるマスタークラスがありました。

物凄く行って見学したかったけれど、本選も行くし我慢しました苦笑い

浜コンホームページにあった、高坂はる香さんが書いたマスタークラスのリポートがとても興味深かったです。

 

マスタークラス

 

コブリン先生のマスタークラスでは…

「ベートーヴェンが楽譜に書いたことを守らなくてはならない」

 

イラーチェク・フォン・アルニン先生のマスタークラスでは…

「テンポを正しくとること、スコアに忠実であることの重要性をもう一度考える

作曲家の意図を再現するためにはまず楽譜に従わねばならない」

 

など。

 

どなたの語られていることも、なるほど、と納得できます。

 

 

今の時代、世界中のいろんな演奏家の、様々な演奏が、聴きたいときに一瞬にして探し出せてすぐに聴ける時代。

あまりに多くの演奏、多くの情報がありすぎるのかも知れません。

 

けれど、作曲家が何を意図して、どんな感情で書いたかについての情報は、その楽譜の中にあるものが唯一のもの。

いろんな人がいろんな解釈をして、まったく違う演奏をし、それが個性…と勘違いしているのかも…

 

私も曲を長く練習していて慣れてくると、細かいところで音価をペダルでごまかしたり、だんだん自分の気持ちの良いようになってきてしまう。

そうするとレッスンで先生から「音価は正しく楽譜に書かれているとおりに」など、よく注意されます。

 

強弱なども楽譜を忠実に守っていないと、だんだんあいまいになってきてしまう。

よく言われるのは、作曲家がその時どんな状況で作曲し、その音にどんな感情を込めたのかもっと楽譜から読み取り感じるように、ということ。

 

ショパンなどはよく、楽譜どおりに演奏しただけではショパンの音楽にならないなんて言われるけれど、それは楽譜の表面上のことで、その内面にある感情を表現するには、やはり楽譜を深く読み取ることが必要。

ベートーヴェンなど古典派は特に楽譜は絶対的なもので、それを忘れてしまった演奏は、即否定されてしまう。

 

楽譜は偉大な作曲家の書いた神聖なもの。

弾き手が勝手なエゴで解釈して、作曲家が意図したものと違う演奏しては、絶対にいけないんだなぁと思いました。

それがクラシック音楽なんですね。

 

 

もちろん自分が楽しむぶんには、アレンジものや自分の弾き方で演奏するのはいいのですが、コンクールではそれは許されないんだと思います。

 

物凄く達者に、音色も素晴らしく音楽性豊かに演奏されていた方が、次のラウンドに残れなかったのは、もしかしたらそんなところにあるのかも知れないなと思いました。

 

 

とはいえ、音楽はそれが正しいか正しくないかが重要なわけではなく、一番大事なのは人の心をどれだけ動かしたか。

コンペティターたちの演奏を聴いた人たちが、それぞれ違う部分で違った感情をもち、心を動かされたこと、それが一番価値のあることだよな、と思います。

 

 

私のお気に入りのピアニスト、フィリップ・ショイヒャーさんが、2次の審査結果が出て次に進めなかったとわかった日の夜、彼のインスタグラムにこんな投稿をされていました。

 

 

 

「間違った音符を弾くことは取るに足らないこと

情熱のない演奏をすることは許しがたいこと」

 

ベートーヴェンの言葉なんでしょうか。

 

フィリップの演奏にはミスタッチもいっぱいあったかも知れないけれど、とっても情熱を感じられた。

だから私は物凄く心が踊ったんですよね~あげぇぃ!!

 

 

やはり音楽の中にある情熱、それが感じられない演奏には人の心は動かせない。

 

 

ポール・ヒューズ審査委員が言われた「心が動かされた瞬間、この音楽家は面白いと感じる」

それが、コンクールにおいても、良い音楽家かどうかを判断する基準になるべきなんじゃないかな、と思いました。