あさま山荘事件から52年 ~事件は今に何を伝えるのか~1 | 幸せ信州

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警察官2人と民間人1人が犠牲となった、あさま山荘事件から52年 ~事件は今に何を伝えるのか~
 

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   空撮:「あさま山荘」  

 

 1972(昭和47)年2月、連合赤軍メンバー5人がライフル銃などで武装し、軽井沢町の楽器会社の保養施設「あさま山荘」に、管理人の妻を人質にとって10日間立てこもった。銃撃戦も行われ、2月28日に警視庁や長野県警の機動隊員らが突入して人質を救出した。

 全員逮捕されたが、事件では、民間人1人と警視庁警備部に所属していた第2機動隊の内田尚孝隊長と、特科車両隊の高見繁光隊員らが銃撃を受けて死亡し、27人が負傷した。

 連合赤軍メンバー5人のうちの1人は、その後マレーシアで起きた大使館占拠事件で超法規的措置によって釈放されて出国し、現在も国際手配されている。

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>>>「あさま山荘事件」から52年 殉職した警察官の慰霊式  2月28日  
 「あさま山荘事件」の人質救出から28日で52年。この日は2人をしのんで建てられた「治安の礎」という石碑の前で、慰霊式が行われました。
 

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  連合赤軍

 

 連合赤軍は1971年(昭和46)結成。「革命は銃口から生まれる」を合言葉に群馬県の山中のアジトにこもり、銃を使って軍事訓練と称した活動を続けていた。絶対的な上下関係の組織体制のもと、活動方針をめぐってリンチがエスカレート。幹部は、意に添わないメンバーに対して「生まれ変わるための総括が必要だ」と自己批判を強要し、集団で暴行。1か月間にメンバー12人が殺害した。

 その連合赤軍が引き起こしたのが、「あさま山荘事件」だった。当時16歳から25歳のメンバー5人は、ライフル銃などを手に山荘に押し入った。

 

 

  1970~1972年 社会事情

 

 1970年代の日本は高度経済成長を迎え、技術的な進歩を遂げた一方で、深刻な公害問題に悩まされていた。人々の生活が豊かになったものの、環境問題や貧富の格差が浮き彫りになった年代だといえる。
 

1970年
1月14日 - 第3次佐藤内閣発足。
3月14日 - 日本万国博覧会(大阪万博)が開幕( - 9月13日)
3月31日 - 日本初のハイジャック事件、よど号ハイジャック事件。
11月25日 - 三島由紀夫が割腹自殺する

1971年
2月22日から成田空港予定地の代執行が行われ
7月1日 - 環境庁が発足

1972年
2月2日 - 太平洋戦争の旧日本兵横井庄一が28年ぶりにグアム島から帰還
2月3日 - 札幌オリンピック開幕。
2月19日 - あさま山荘事件
3月15日 - 山陽新幹線新大阪〜岡山間暫定開業
5月15日 - 沖縄返還
6月17日 - 佐藤栄作首相退陣表明
7月7日 - 第1次田中角栄内閣発足

 

 

いまの時代に何を伝えているのだろうか

 事件から半世紀。昭和に起きた「あさま山荘事件」は、いまの時代に何を伝えているのだろうか。

                         この稿、続く-