日本最初の新劇女優一松井須磨子-松代出身,幼少期を上田で過ごす- | 幸せ信州

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  「日本近代劇を変えた」といわれる,日本初の近代劇女優「松井須磨子」(1886~1919)。

 須磨子(本名:正子)は,埴科郡清野村(現・長野市松代町清野)に生まれる。6歳から15歳まで,上田市松尾町で洋品店を営んでいた養父長谷川友助の元で過ごしました。蚕都として賑わい,町文化の豊かさを持つ上田で多感な時期を過ごした須磨子は,上田染谷丘高校の前身,上田女子尋常高等小学校に通い,優秀な成績で卒業しています。

 

  『スマコ』は明治から大正にかけて活躍し,一世を靡し日本の女優第一号とも言われた松井須磨子の生き様を描いています。主演は実力派女優・大和田美帆。

 

 須磨子スキャンダル,中傷、差別を受け,スペイン風邪のパンデミック禍で愛する人を失いながらも,自らの生き方を全うしました。その姿は多くの感動を呼び,沢山の小説や映画ともなりました。

 

>>> い女優「スマコ」 >>>総

 

 総合演出・宮本亞門と主演・大和田美帆より皆様へ

 

 ・出演者:大和田美帆、福士誠治、波岡一喜、堀井新太、まりゑ、水谷あつし、西岡徳馬
津田寛治(ナレーター) 
・スタッフ:総合演出・宮本亞門 / 脚本・池谷雅夫
・映像監督・土屋哲彦 / プロデューサー・橘阿鴻
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 「日本近代劇を変えた」といわれる,日本初の近代劇女優「松井須磨子」(1886~1919)。明治から大正期に,演劇界に馨星のごとく現われ,32歳という若さで自ら命を絶つまで"演劇” と 〝演出家・島村抱月〝に人生の全てを賭け,駈け抜けた女性。
 

日本の女優第一号とも言われた女優・松井須磨子の生き様を描く舞台だ。彼女は、愛する人を当時世界的に大流行していたスペイン風邪で失うこととなっても、なお舞台に立ち続けようとした女優。その強く、儚い生き様を描くことで彼女の舞台にかける熱き思いに迫り、演劇が持つエネルギーや、作品に込めた想い、エンタテインメントの無限の可能性を見つめ直していく。

松代出身の松井須磨子

 

 

  須磨子(本名:正子)は,埴科郡清野村(現・長野市松代町清野)に士族小林藤太(旧松代藩士)の五女(九人兄妹の末っ子),小林正子として生まれる。6歳から15歳まで、現在の上田市松尾町で洋品店を営んでいた養父長谷川友助の元で過ごしました。当時,蚕都として賑わい,町文化の豊かさを持つ上田で多感な時期を過ごした須磨子は、上田染谷丘高校の前身,上田女子尋常高等小学校に通い,優秀な成績で卒業しています。

 だが養父が亡くなったため実家に戻る。実数え年17歳の春に麻布飯倉の菓子屋「風月堂」に嫁いでいた姉を頼って上京した後,戸板裁縫学校(現・戸板女子短期大学)に入学。
 

松井 須磨子(まつい すまこ、1886年(明治19年)3月8日(戸籍上:11月1日)[1] - 1919年(大正8年)1月5日)は、日本の新劇女優、歌手。本名、小林正子(こばやしまさこ)